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クリスティアン1世 (プファルツ=ビルケンフェルト=ビシュヴァイラー公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クリスティアン1世
Christian I.
プファルツ=ビルケンフェルト=ビシュヴァイラー公
在位 1630年 - 1654年

出生 (1598-09-03) 1598年9月3日
ビルケンフェルト
死去 (1654-09-06) 1654年9月6日(56歳没)
ノイエンシュタイン
埋葬 アグノー、教区教会
配偶者 マグダレーナ・カタリーナ・フォン・プファルツ=ツヴァイブリュッケン=フェルデンツ
子女 一覧参照
家名 プファルツ=ビルケンフェルト家
父親 プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルトカール1世
母親 ドロテア・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルク
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クリスティアン1世Christian I. von Pfalz-Birkenfeld-Bischweiler, 1598年9月3日 - 1654年9月6日)は、ドイツのプファルツ=ビルケンフェルト=ビシュヴァイラー公(在位:1630年 - 1654年)。プファルツ=ツヴァイブリュッケン=ビルケンフェルトカール1世とその妻でリューネブルク侯ヴィルヘルムの娘であるドロテアの間の3男として生まれた。ビルケンフェルト公ゲオルク・ヴィルヘルムの弟。

生涯

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生後2歳で父を亡くすと、母方の伯母であるホーエンローエ=ランゲンブルク伯爵夫人エリーザベトに引き取られたが、成長すると父方の伯父であるプファルツ=ノイブルク公フィリップ・ルートヴィヒの手許で教育された。

三十年戦争では勇猛な武将として知られ、スウェーデン軍に騎兵大将(General der Kavallerie)として仕えた。1632年、クリスティアンはバーデン=ドゥルラハ辺境伯領(Baden-Durlach)において兵士を募集し、ヴュルツブルクに駐屯していたスウェーデン王グスタフ2世アドルフのスウェーデン本隊に合流した。1633年にはケルン選帝侯領(Kurköln)に自軍の拠点を移し、ハイデルベルク、フィリップスブルク(Philippsburg)、アグノー、ブライザッハ(Breisach am Rhein)などを包囲している。1634年ネルトリンゲンの戦いの後に軍人生活から退き、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世と和解した。

1630年に最初の結婚に際してアルザス地方のビシュウィレー(ドイツ語名ビシュヴァイラー)の所領を分与されてビルケンフェルト=ビシュヴァイラー公爵家を創設し、ビシュウィレーに城を建てて1640年より居城とした。1644年、クリスティアンはフランス王ルイ14世より自分の子供達にフランスの「Indigenat」を授与してもらい、子供達にフランス貴族の地位を確保した。三十年戦争の終結後は、自領の再建・復興に力を注いだ。

1654年に亡くなり、遺骸は改革派に属するアグノーの教区教会に安置された。遺領は2つに分割され、長男のクリスティアン2世がビシュヴァイラーを、次男のヨハン・カールがゲルンハウゼンを継承した。クリスティアン2世は後にビルケンフェルトも相続、ビシュヴァイラーはビルケンフェルトに統合された。

子女

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1630年11月14日ツヴァイブリュッケンにおいて、同族の従兄であるプファルツ=ツヴァイブリュッケン=フェルデンツ公ヨハン2世の娘マグダレーナ・カタリーナ(1606年 - 1648年)と最初の結婚をし、間に7人の子女をもうけた。

  • グスタフ・アドルフ(1632年)
  • ヨハン・クリスティアン(1633年)
  • ドロテア・カタリーナ(1634年 - 1715年) - 1649年、ナッサウ=オットヴァイラー伯ヨハン・ルートヴィヒと結婚
  • ルイーゼ・ゾフィー(1635年 - 1691年)
  • クリスティアン2世(1637年 - 1717年) - ビルケンフェルト公
  • ヨハン・カール(1638年 - 1704年) - ゲルンハウゼン公
  • アンナ・マグダレーナ(1640年 - 1693年) - 1659年、ハーナウ=リヒテンベルク伯ヨハン・ラインハルト2世と結婚

1648年10月28日にヘルフェンシュタイン=ヴィーゼンシュタイク伯ルドルフ5世の娘マリア・ヨハンナ(1612年 - 1655年)と再婚したが、間に子供は授からなかった。

参考文献

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  • Jahresbericht [afterw.] Trierer Jahresberichte, 1858, Digitalisat
  • Johann Georg Lehmann: Vollständige Geschichte des Herzogtums Zweibrücken und seiner Fürsten, Kaiser, 1867, S. 480 f.
  • Johann Heinrich Bachmann, Georg August Bachmann: Pfalz Zweibrükisches Staats-Recht, Band 1, S. 13
  • Conrad Mannert: Die Geschichte Bayerns, Band 2, Hahn, 1826, S. 489
  • Hardt: Wilhelm Herzog in Bayern, Verl. d. Literar.-Artist.-Inst., 1838, S. 5
先代
新設
ビシュヴァイラー宮中伯
(プファルツ=ビルケンフェルト=ビシュヴァイラー公)

1630年 - 1654年
次代
クリスティアン2世