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クライド・トンボー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クライド・トンボー
家族の農園でトンボーと自作の望遠鏡(1928年)
生誕 1906年2月4日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州 ラサール郡 ストリーター
死没 (1997-01-17) 1997年1月17日(90歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューメキシコ州 ラスクルーセス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
研究分野 天文学
研究機関 ローウェル天文台
出身校 カンザス大学
主な業績 冥王星の発見
プロジェクト:人物伝
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発見した準惑星
(134340) 冥王星 1930年2月18日
発見した小惑星
(2839) アネット 1929年10月5日
(2941) オールデン 1930年12月24日
(3310) パッツィ 1931年10月9日
(3583) バーデット 1929年10月5日
(3754) キャスリーン 1931年3月16日
(3775) エレン・ベス 1931年10月6日
(3824) ブレンダリー 1929年10月5日
(4510) ショーナ 1930年12月13日
(4755) ニッキー 1931年10月6日
(5701) バルタック 1929年10月26日
(6618) ジムシモンズ 1936年9月16日
(7101) ハリティーナ
(7150) マッケラー 1929年10月11日
(8778) 1931 TD3 1931年10月10日

クライド・ウィリアム・トンボー(Clyde William Tombaugh, 1906年2月4日 - 1997年1月17日)は、アメリカ天文学者1930年冥王星を発見した業績で特に知られている。

生涯

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トンボーは、イリノイ州ストリーターで生まれた[1]。高校時代に西カンザスに家族と移り住んだが、そこで農場がで壊滅し、大学進学を諦めざるを得なかった[1]。彼は独学で学問を続け、1926年には初めて天体望遠鏡を自作した。その後2年の間に2基の天体望遠鏡を自作して彼自身の腕を磨いた[1]

これらの望遠鏡で観察した火星木星の記録を、アリゾナ州フラッグスタッフローウェル天文台に送ったところ、その力量が認められ、天文台に雇われることとなった[1]

1930年2月18日に冥王星を発見した。(後述)

1932年にはカンザス大学に入学。1936年に学士号、1939年に修士号を取得した後、再びローウェル天文台に戻った[1]

第二次世界大戦中の1943年から1945年にかけて、アリゾナ州立大学アメリカ海軍航法を教えた[1]

戦後、天文台の財政難のためローウェル天文台に戻れなかった彼は、1946年からニューメキシコ州ホワイトサンズ・ミサイル実験場で9年間働いた後、1955年から1973年に引退するまで、ニューメキシコ州ラスクルーセスニューメキシコ州立大学英語版で教員を務めた[1]。引退後はニューメキシコ州立大学のトンボー基金のためアメリカとカナダで講演に奔走した[1]

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1997年1月17日、91歳の誕生日を迎える直前にラスクルーセスの自宅で亡くなった[1]

彼の遺灰の一部は2006年に打ち上げられた太陽系外縁天体探査機ニュー・ホライズンズのコンテナに納められた。コンテナには以下の銘文が刻まれている[2][3]

INTERNED HEREIN ARE REMAINS OF AMERICAN CLYDE W. TOMBAUGH, DISCOVERER OF PLUTO AND THE SOLAR SYSTEM'S 'THIRD ZONE'. ADELLE AND MURON'S BOY, PATRICIA'S HUSBAND, ANNETTE AND ALDEN'S FATHER, ASTRONOMER, TEACHER, PUNSTER, AND FRIEND: CLYDE W. TOMBAUGH (1906-1997)

(訳)ここに納めるは、冥王星および太陽系"第三領域"を発見したアメリカ人、クライド・W・トンボーの遺灰である。 アデルとムーロンの息子、パトリシアの夫、アネットとオールデンの父、天文学者、教師、駄じゃれ好き、そして我らの友、クライド·W·トンボー(1906-1997)。

業績

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冥王星の発見

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ローウェル天文台に勤務してからは、天文台長のヴェスト・スライファーの下で天王星海王星の軌道に影響を与えていると考えられた未知の惑星の捜索に携わった。

新惑星の探索には、撮影時刻の違う同一星野を見比べて、動きがある星はないかを確認するために、当時最新鋭の技術であった点滅コンパレーター英語版が使われた。彼は、ローウェルが9番目の惑星があると予測した周辺の星野を丹念に精査し続けた。

1930年2月18日、前月に撮影された写真と比べて動きがある天体があることに気づいた彼は、その天体が海王星より彼方にあること、小惑星ではないことを確認し、それが第9番目の惑星であると確信した[4]

命名に当たっては、当時11歳の少女ヴェネチア・バーニーの提案を採用し、5月1日Pluto と発表した。これはプルートーがローマ神話の黄泉の神で、自分を人々から見えないようにすることができたこと、プルートーの頭文字2文字が Percival Lowell の頭文字と共通することなどの理由によるものである。

その他の業績

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トンボーはその後も新惑星を探したが、黄道周辺には同じ程度の明るさを持つ惑星は見つけられなかった。

ローウェル天文台での観測で、彼は数百の変光星、800近い数の小惑星、2個の彗星の他、29,000にも及ぶ銀河を発見している[1][5]

冥王星のほかに、彼は生涯に800近い小惑星を発見した。そのうち、(2839) アネット、(2941) オールデンは娘[6]と息子[7]から、(3310) パッツィは妻パトリシア[8]から、その他5個は彼の孫たちから名を取っている。また、1931年に発見していた彗星(C/1931 AN)は2012年に発見された彗星と同一だと判明して274P/トンボー・テナグラ彗星と名付けられた。

その他

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トンボーはUFOにも関心を持ち、1950年代には軍の要請でUFOの調査をしていたともいわれる。しかし実際にトンボーが(小惑星観測の実績によって)軍から依頼されていたのは宇宙開発の上で危険となりうる地球近傍の物体を探索する調査で、これがマスメディアによってUFO記事と結び付けられたものである[9]

賞歴

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エポニム

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j Clyde Tombaugh Biography”. http://www.achievement.org/autodoc/pagegen/index.html. American Academy of Achievement (2010年10月14日). 2013年4月25日閲覧。
  2. ^ http://thegeektastics.com/wp-content/uploads/2013/02/Tombaugh-Memorial.jpg
  3. ^ Buckley, M.; Alan Stern (2006年2月3日). “Happy 100th Birthday, Clyde Tombaugh”. JHU Applied Physics Laboratory. 2013年4月25日閲覧。
  4. ^ Kansas State Historical Society portrait”. 2013年4月25日閲覧。
  5. ^ Tombaugh, Clyde William (1906-1997)”. The Encyclopedia of Science. The Worlds of David Darling. 2013年4月25日閲覧。
  6. ^ (2839) Annette = 1929 TP = 1937 AB1 = 1939 UL = 1962 TE = 1970 BB = 1972 XF1 = 1982 VP”. MPC. 2021年7月21日閲覧。
  7. ^ (2941) Alden = 1930 YV = 1933 WH = 1947 BD = 1976 JY8 = 1982 FA2”. MPC. 2021年7月21日閲覧。
  8. ^ (3310) Patsy = 1930 MH = 1931 TS2 = 1934 FB = 1939 CM = 1939 EC = 1948 YB = 1971 HO = 1983 TC1 = 1984 WW”. MPC. 2021年7月21日閲覧。
  9. ^ Redpath, Martina (18 July 2013). “Clyde Tombaugh and the Mysterious Satellite”. Armagh Planetarium. 14 June 2015閲覧。
  10. ^ Medallists of the Royal Astronomical Society”. 2013年4月25日閲覧。
  11. ^ (1604) Tombaugh = 1920 EC = 1930 DX = 1931 FH = 1933 SA1 = 1936 FA = 1937 JH = 1941 CF = 1943 OE = 1948 ME = 1949 ST1”. MPC. 2021年7月21日閲覧。