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クライシュ (ヤルカンド・ハン国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

クライシュ(Quraysh、生年不詳 - 1618年)は、ヤルカンド・ハン国の第6代[1]君主。

生涯

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ユーヌス・スルタン(ムハンマドの弟[2])の子で、アブドゥッラシード・ハン1世の孫、カシュガルで従兄のシュジャーウッディーン・アフマドに反乱を起こしたサラーフッディーンの弟にあたる。シュジャーウッディーン・アフマドが狩猟中に、反対派であったタジク族ハーキム英語版であったムハンマド・カーシムとイシカガ・アブル・マーニーに暗殺されると、クライシュが両者によって擁立された。

シュジャーウッディーン・アフマドの死と、都ヤルカンドにおけるクライシュの即位宣言をカシュガルで聞いたアブドゥッラティーフ(シュジャーウッディーン・アフマドの子)はクライシュを簒奪者と見なしてすぐにヤルカンドへの進軍を開始し、迎撃したクライシュはラバッチ地域でアブドゥッラティーフの軍に敗北を喫した。マフムード・イブン・ワーリー英語版によると、クライシュが在位していたのはわずか9日間[注釈 1]であったとされる。

敗北後のクライシュはその兄弟と共にアブドゥッラティーフの手の者によって殺害された。

脚注

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注釈

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  1. ^ 丸山鋼二によると、クライシュは執政してから6日で殺害されたとされる[1]

出典

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  1. ^ a b 丸山 2014, p. 49
  2. ^ Section 1 | Sinoturcica”. 2022年1月24日閲覧。

参考文献

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  • 丸山鋼二「ヤルカンド・ハン朝の建国と「聖戦」: 新疆イスラム教小史⑦」『文教大学国際学部紀要』第24巻第2号、文教大学、2014年1月1日、47-64頁、CRID 1050001338027025664ISSN 0917-3072NAID 120006420345 
先代
シュジャーウッディーン・アフマド
ヤルカンド・ハン国君主
1618年
次代
アブドゥッラティーフ