ギュンデュズ・イケダ
マサトシ・ギュンデュズ・イケダ(トルコ語: Masatoşi Gündüz İkeda、1926年2月25日 - 2003年2月9日)は、日本生まれのトルコの数学者。専門は代数的整数論。主にガロア理論への貢献で知られる[1][2][3]。
経歴
[編集]東京生まれ。兄と2人の姉を持つ4人兄弟の末っ子。父親は保険会社勤務。小さい頃から父親の数学の本を読んで、学生時代に数学と数学者の生涯に関する古本を購入し読んだ。特にフランスの数学者エヴァリスト・ガロアに感銘を受けたという[2]。
1948年に大阪大学数学科を卒業。中山正らとフロベニウス代数と準フロベニウス代数を研究した後、正田建次郎の指導の下で1953年に博士号を取得した[4][5]。1955年に准教授に任命され、1957年から1959年にかけて、ドイツのハンブルク大学でヘルムート・ハッセの下で研究をした。1960年にハッセからの提案でトルコに行き、イズミルのエーゲ大学に移った。1961年、同大学理学部の外国人専門家に任命された[2][3][6]。
1964年、トルコ人生化学者のエメル・アルドルと結婚し、のちにトルコに帰化した。1965年に同大学の准教授となり、1966年に正教授となった。1968年にアンカラの中東工科大学に客員教授として1年間在籍した。任期満了後は友人の数学者、ジャヒット・アルフの慰留により、正教授として留任した[2][3]。
その後、ハンブルク大学、サンディエゴ州立大学、ヨルダンのイルビドにあるヤルムーク大学などの大学に客員教授として招待された。1976年にプリンストン大学からトルコに帰国し、アンカラのハジェッテペ大学の数学科の学科長を1978年まで務めた。その後また中東工科大学に戻り、1992年に同大学を退職した。他にはTÜBİTAKマルマラ研究センター、トルコ国立電子工学研究所やイスタンブールのフェザ・ギュルセイ基礎科学研究センターでも働いた[6]。
2003年2月9日にアンカラで死去。コジャテペ・モスクで葬儀が行われた後、カルシュヤカ墓地に埋葬された[6]。
2人の息子がいる[2]。
記念
[編集]トルコ数学財団は、イケダの記念として、「マサトシ・ギュンデュズ・イケダ研究賞」を創設した[7]。
脚注
[編集]- ^ O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “Masatoshi Gündüz Ikeda”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews.
- ^ a b c d e “Uzakdoğulu Bir Matematikçi-Gündüz İkeda” (Turkish). Biltek. 28 June 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。21 October 2013閲覧。
- ^ a b c Oğhan, Şehriban (13 February 2003). “Japon doğdu, Türk öldü” (Turkish). Hürriyet 21 October 2013閲覧。
- ^ “Gündüz Ikeda - Biography” (英語). Maths History. 2022年3月14日閲覧。
- ^ Masatoshi Gündüz Ikeda - Mathematics Genealogy Project
- ^ a b c “Prof. Dr. Gündüz İkeda vefat etti” (Turkish). Hürriyet. (10 February 2003) 21 October 2013閲覧。
- ^ “Masatoshi Gündüz İkeda Research Award (2013)”. Mathematics Foundation of Turkey. 21 October 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。21 October 2013閲覧。
外部リンク
[編集]- MacTutorによる紹介
- 個人のウェブページ(アーカイブ)