ギュンター・ベーニッシュ
ギュンター・ベーニッシュ | |
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生誕 |
1922年6月12日 ドイツ国、ロックヴィッツ |
死没 |
2010年7月12日 (88歳没) ドイツ、シュトゥットガルト |
国籍 | ドイツ |
出身校 | シュトゥットガルト工科大学 (現シュトゥットガルト大学) |
職業 | 建築家 |
所属 | ベーニッシュ&パートナー |
建築物 | オリンピアパーク/ドイツ、ミュンヘン (1972年) |
ギュンター・ベーニッシュ(Günter Behnisch、1922年6月12日 – 2010年7月12日)は、ドイツの建築家。ドレスデン近郊のロックヴィッツ生まれ。第2次世界大戦時においては最年少潜水艦隊司令官の一人であった。戦後、脱構築主義 (deconstructivism) を代表する最も著名な建築家の一人となり、ミュンヘンのオリンピアパークやボンの西ドイツ連邦議事堂などのプロジェクトを手掛け、世界的名声を得た。
生い立ち
[編集]ベーニッシュは3人兄弟の中間子として生まれた。[1] ドイツ社会民主党員であった彼の父がナチス政府により逮捕、解雇ののちケムニッツ (Chemnitz) に移居させられたために、彼は多くの学校に通うこととなった。[1]
戦時下の1939年、17歳のベーニッシュは強制労働あるいは徴兵という選択肢から、より負担が少ないと考えたドイツ海軍 (Kriegsmarine) に志願。[1] 後にUボート艦隊の士官となり、U-952に乗船した。1944年10月、U-2337への配属をもって、彼は最年少のUボート司令官の一人となった。第2次世界大戦末期、彼の潜水艦隊はイギリスに降伏。ノーサンバーランド (Northumberland) のフェザーストーン城 (Featherstone Castle) で捕虜となった。[1]
1947年にベーニッシュは英国からドイツに戻り、はじめレンガ職人として訓練を受け [1]、1947年よりシュトゥットガルト工科大学 (Technische Hochschule Stuttgart テヒニシェ・ホーホシューレ・シュトゥットガルト、現シュトゥットガルト大学) にて建築を学ぶ (– 1951年) 。[2] 卒業後の1951年から1952年にかけて、シュトゥットガルトのロルフ・グートブロートの事務所に勤務していた。
建築家として
[編集]ベーニッシュは生涯を通して、ドイツ各地の学校や大学の建築デザインに関わった。また、西ドイツの首都であったボンの新議事堂 (Plenarsaal des Deutschen Bundestags in Bonn プレナールザール・デス・ドイチェン・ブンデスタークス・イン・ボン ) は、彼の有名な作品の一つである。彼の設計案がコンペティションで選ばれたのは1973年のことであったが、着工は1987年、さらに竣工は1992年に入ってからであった。[2]
1952年よりベーニッシュは自身の事務所を設立、1956年までブルーノ・ランバートと共同運営を行った。また1966年に建築設計事務所 “ベーニッシュ&パートナー” (Behnisch & Partner) を設立した (– 2005年) 。[3] 彼の息子であるシュテファン・ベーニッシュ (Stefan Behnisch) もまた同分野で活躍し “ベーニッシュ・アルヒテクテン” (Behnisch Architekten) を1989年に立ち上げ、世界的に事業を展開している。
1967年よりダルムシュタット工科大学 (Universität Darmstadt ウニヴェルジテート・ダルムシュタット ) にて産業建築及び建築デザインの分野で教鞭を執り (– 1987年) 、建築規格協会の責任者を務める。
1982年にベルリン芸術アカデミー (Akademie der Künste in Berlin アカデミー・デア・キュンステ・イン・ベルリーン) の教員となり、1984年にシュトゥットガルト大学 (Universität Stuttgart) の名誉博士号を授与された。
1996年にザクセン芸術アカデミー会員 (Sächsische Akademie der Künste ゼクシシェ・アカデミー・デア・キュンステ) の創立メンバーに選任、2000年まで建築のクラスを受け持った。
主な受賞歴
[編集]- 1972年 ドイツ連邦建築家協会 (BDA) の建築家大賞 (Großer Architekturpreis des Bundes Deutscher Architekten (BDA) )
- 1982年 ベルリン芸術アカデミー会員 (Mitglied der Akademie der Künste in Berlin)
- 1992年 ドイツ連邦建築家協会 (BDA) 名誉会員 (Ehrenmitglied des Bundes Deutscher Architekten (BDA) )
- 1993年 シュトゥットガルト市ハンス・モルフェンター賞 (Hans-Molfenter-Preis der Stadt Stuttgart)
- 1997年 ドイツ連邦共和国功労勲章 一等功労十字章 (Bundesverdienstkreuz I. Klasse des Verdienstordens der Bundesrepublik Deutschland)
- 2008年 ドイツ批評家協会賞 (名誉賞) (Deutscher Kritikerpreis (Ehrenpreis) )
- 2013年 ダルムシュタット大学リヒトヴィーゼ・キャンパス (Campus Lichtwiese der Universität Darmstadt) の通りの一つがベーニッシュに因んで名付けられる
代表的建築物
[編集]- 1972年 オリンピアパーク(Olympiapark) /ドイツ、ミュンヘン [4]
- 1992年 ドイツ連邦議会議事堂 (Bundeshaus) /ドイツ、ボン[5]
- 1993年 – 2005年 ベルリン芸術アカデミー (Berlin Akademie der Künste) /ドイツ、ベルリン、ミッテ区
- 1997年 シュトゥットガルト州立土地信託銀行 (State Clearing Bank – Landesgirokasse) /ドイツ、シュトゥットガルト[8]
- 1998年 ニュルンベルク空港管制塔 (Control tower at Nuremberg Airport) /ドイツ、ニュルンベルク[9]
- 2002年 北ドイツ州立銀行 (Norddeutsche Lnadesbank) /ドイツ、ハノーファー[10]
- 2003年 ジェンザイム・センター (Genzyme Center) /アメリカ合衆国、マサチューセッツ州、ケンブリッジ[11]
- 2005年 ドネリー細胞・生体分子研究センター (Donnelly Centre for Cellular and Biomolecular Research) /カナダ、トロント[12]
関連項目
[編集]- ブルーノ・ランバート
- ベーニッシュ&パートナー
- シュテファン・ベーニッシュ
- ベーニッシュ・アルヒテクテン
- ハインツ・イスラー
- フライ・オットー
- en:Category:20th-century German architects – 20世紀のドイツの建築家 (英語版カテゴリ)
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- de:Kategorie:Architekt (Stuttgart) – シュトゥットガルトの建築家 (ドイツ語版カテゴリ)
- de:Kategorie:Behnisch & Partner – ベーニッシュ&パートナー設計建築 (ドイツ語版カテゴリ)
- de:Kategorie:Ehrendoktor der Universität Stuttgart – シュトゥットガルト大学の名誉博士 (ドイツ語版カテゴリ)
脚注
[編集]- ^ a b c d e David Childs, Günter Behnisch: The architect behind Munich's groundbreaking Olympic Stadium, in The Independent (London), 7 August 2010, retrieved 1 March 2012
- ^ a b Thorsten Dörting, Obituary of the Architect Günter Behnisch, in Spiegel online international, 13 July 2010, retrieved 9 August 2010
- ^ "Impressum | Behnisch & Partner". 2017年11月14日閲覧。
- ^ “Sueddeutsche Article on Günther Benisch”. Sueddeutsche Newspaper. 3 June 2014閲覧。
- ^ “Plenary Complex of the German Parliament”. aedes architecture. 3 June 2014閲覧。
- ^ “architect Günter Behnisch dies at 88 years”. die Welt (German language). 3 November 2016閲覧。
- ^ “Front history, rear Behnisch The Hotel Adlon in Berlin is extended”. BauNetz (German language). 3 November 2016閲覧。
- ^ “State Clearing Bank – Landesgirokasse in Stuttgart”. AW Magazine. 3 June 2014閲覧。
- ^ “Nürnberg International Airport (NUE/EDDN), Nuremberg, Bavaria, Germany”. Airport Technology. 3 June 2014閲覧。
- ^ “Defining the Internal Essence of the Materiality of Institution”. Michael James Potter. 3 June 2014閲覧。
- ^ “German Embassy Essay on German Architects”. German Embassy Kopenhagen. 3 June 2014閲覧。
- ^ “Benisch Profile on German Architects”. German Architects Website. 3 June 2014閲覧。
著書
[編集]- Busch, Rainer; Röll, Hans-Joachim (1999). German U-boat commanders of World War II : a biographical dictionary. London, Annapolis, Md: Greenhill Books, Naval Institute Press. ISBN 1-55750-186-6