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ギュスターヴ・フレポン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ギュスターヴ・フレポン
Gustave Fraipont
ナダール撮影の肖像写真
生誕 1849年5月9日
ベルギー、サン=ジョス=タン=ノード
死没 1923年4月29日
フランス、パリ
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ギュスターヴ・フレポン(Gustave Fraipont、1849年5月9日[1] - 1923年4月29日[2])はベルギー生まれの画家、イラストレーターである。フランスに帰化し、雑誌の挿絵やポスターを描いた。

略歴

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ブリュッセルのサン=ジョス=タン=ノードで生まれた。ブリュッセルで Henri Hendrickx (1817–1894) らに学んだ後、パリに移った。1870年からの普仏戦争でフランス軍に兵士として入隊し、フランスの市民権を得た。受勲者の子弟を教育するレジオン・ドヌール学校 (Maison d'éducation de la Légion d'honneur) の絵画の教授に任じられ、アマチュア向けの絵画技法に関する著書も執筆した。

商業美術の分野で働き、鉄道会社(Compagnie des chemins de fer de l'Ouest)のために多くのポスターを制作し、若者向けの小説などの書籍の挿絵を描いた。「Courrier français」や「 Paris illustré」などの雑誌、新聞に挿絵を描いた。1884年にフランス・リトグラフ画家協会(Société des artistes lithographes français)の創立会員となった[3]

息子のジョルジュ・フレポン(Georges Fraipont:1873–1912) もイラストレーターになった。

作品

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ポスター

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書籍挿絵

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脚注

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  1. ^ L'acte de naissance est disponible dans son dossier de la légion d'Honneur.
  2. ^ Acte de décès n° 811 (vue 13/31). Archives en ligne de la Ville de Paris, état-civil du 6e arrondissement, registre des décès de 1923.
  3. ^ Agenda de la curiosité, des artistes et des amateurs, Paris, 1889, publicité en fin d'ouvrage — sur Gallica.

参考文献

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  • Fraipont, Gustave. In: Ulrich Thieme (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 12: Fiori–Fyt. E. A. Seemann, Leipzig 1916, S. 279