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ギジェルモ・ラボルデ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ギジェルモ・ラボルデ
Guillermo Laborde
ラボルデ作「スポーツ」、ウルグアイ国立美術館
生誕 1886年10月24日
ウルグアイ、モンテビデオ
死没 1940年5月13日
ウルグアイ、モンテビデオ
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ギジェルモ・ラボルデ(Guillermo Laborde、1886年10月24日 - 1940年5月13日)はウルグアイの画家、彫刻家、デザイナーである。明るい色彩の平面で作品を構成する「Planismo」というスタイルの推進者の一人となった。

略歴

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ウルグアイの首都、モンテビデオで生まれた。モンテビデオの美術センター(Círculo de Bellas Artes)でカルロス・マリア・エレーラ(Carlos María Herrera:1875-1914)から絵を学んだ。ウルグアイ政府から奨学金を得て1912年からヨーロッパに留学し、フィレンツェ、ローマ、スペインに滞在した。

1921年に帰国し、1923年からモンテビデオの美術センターの教師や、 教員養成学校で絵を教えた[1]

ホセ・クーネオ・ペリネッティ(José Cuneo Perinetti:1887-1977)、カルメロ・デ・アルサドゥン(Carmelo de Arzadun:1888-1968)、アルフレード・デ・シモーネ(Alfredo De Simone:1898-1950)、ペトローナ・ビエラ(Petrona Viera:1895-1960)といった画家たちと 「Planismo」のスタイルを推進した[2] 。ラボルデが描いた美術評論家のポンボ(Luis E. Pombo)の肖像画はウルグアイの「Planismo」の代表作とされている[3]

絵画の他に、彫刻や、グラフィック・デザイン、舞台美術、衣装デザインの分野でも働き、1930年にウルグアイで開催されたサッカーの第一回ワールドカップの公式ポスターのデザイナーになった。ウルグアイ独立100周年記念のポスター・コンテストでも入賞した[4]

ラボルデが教えた画家にはアルフレード・デ・シモーネやペトローナ・ビエラ[5][6] 、エクトル・スガルビ(Héctor Sgarbi:1905-1982)らがいる。

作品

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参考文献

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  1. ^ José Pedro Argul (1975). Proceso de las artes plásticas en Uruguay (3ra. ed.). Ed. Barreiro y Ramos. https://books.google.com/books?id=VxkKAQAAIAAJ 
  2. ^ Planismo, Museo Nacional de Artes Visuales.
  3. ^ Arte Uruguayo: de los maestros a nuestros días. El País, 2011.
  4. ^ Museo Nacional de Artes Visuales. «Guillermo Laborde». Consultado el 16 de enero de 2013.
  5. ^ El País (16 de octubre de 2010). «Vanguardia del arte uruguayo de los años 20». Archivado desde el original el 7 de marzo de 2016. Consultado el 15 de enero de 2013.
  6. ^ Pereda, Raquel. «Petrona Viera: su vida y su tiempo». Revista ONSC (Nº32 p45). Archivado desde el original el 18 de diciembre de 2014. Consultado el 18 de enero de 2013.