ペンライト
ペンライト (penlight) は、ペン型の懐中電灯である[1]。狭義には、本物のペンの大きさの、先だけが光るものを指すが、他にもさまざまな形態・方式のものがある。広義には、ライトスティック (lightstick) と呼ばれる、やや大型の、広い範囲が光る器具を含む[1]。
小型軽量で携帯性に優れているため、機械設備や工事関係をはじめ、医療・福祉分野まで幅広く利用されている。
概要
[編集]電気を使うものは主にボタン型電池や単四形乾電池で点燈する。通常の懐中電灯同様、光源には電球を使うものが一般的だったが、近年はLEDを使うものも広く普及している[1]。
他に、2液混合の化学式のものがある。これらは白色または有色で、数時間の使い捨てである。化学式のペンライト(ケミカルライト)は全てライトスティックに含まれる。サイリューム(商品名)の名でも知られるが、ペン型でないものもある。
用途
[編集]暗闇での警告灯、裸火を使わないキャンドルサービス[2]などに用いられるほか、暗所でのコンサートで歌手が歌唱中に観客が振るという使い方がある[1]。近年では無線制御により舞台照明として利用できるライト(FreFlow)も登場している。
歴史
[編集]コンサートにおいて
[編集]西城秀樹が1974年夏に大阪球場でコンサートを行った際、コンサート前日のラジオ番組で懐中電灯を持ってくるように呼びかけ、多くの観客が持ってきたことから、この使用法が広まったという[3][4]。その後、コンサート会場周辺でライトが売られるようになり、1980年代になると色セロハンを巻いた豆電球や、サイリュームが使用されるようになっている[5]。
1974年11月、東京宝塚劇場で開催された宝塚歌劇団「さよなら 真帆志ぶきショー ザ・スター」[6][7][8]の最後の曲「愛」を真帆志ぶきが歌った際、暗い客席にペンライトの灯が一斉にともり、その灯が静かに揺れ動いた。このペンライトは、真帆志ぶきから観客への贈り物であった[9]。
海外のコンサートでは、1983年にバルセロナのカンプ・ノウスタジアムで行われたフリオ・イグレシアスのスペイン凱旋公演において使用された例がある。この時は、9万人の聴衆がペンライトでイルミネーションをきらめかせる光景にフリオが思わず感動に声を詰まらせ、歌が途切れるという一幕があった[10]。
アイドル歌手のコンサートにおいては、1986年にはすでにペンライトから化学式のケミカルライトへの移行が進んでいた[11]。応援用途のLEDペンライトは、1996年6月に二輪車部品メーカーのやまと工業がコンサートやサッカーの応援に使えるよう、小型軽量で赤、オレンジ、黄色、緑、青の5色のバリエーションを持つ「チアライト」として商品化し、これがジャニーズ事務所で専用応援グッズとして採用された。この商品は1995年に発売した赤色LEDを使用した交通安全用具「ファンタジックライト」を改良したものだった[12]。
ケミカルライトには「ウルトラオレンジ」と呼ばれる、稼働時間が短く強い光を放つタイプが存在する。これを2002年頃、複数のアーティストが出演するフェスにおいて推しのグループやアーティストが出演する際にファンが使い始めた。また、台湾や香港のフェス会場で使用されるケミカルライトは長く目立ったという[注釈 1]。
2010年ごろになると、メンバーそれぞれにイメージカラーのある大人数グループが人気を集め、多彩な色への需要が大きくなったことがきっかけで観客が自前で用意して持ち込みというスタイルが広く浸透するようになる[5]。また、この頃にはFreFlowなどの無線制御型のLED型ペンライトが開発され、2013年からは日本国内の音楽ライブで多く使用されるようになる[14]。
近年ではサイリュームは破損時に化学薬品が漏れる可能性があるため、AKB48が2015年にケミカルライト(サイリューム)の持ち込みを禁止する[15]などの規制の動きもあって、2020年代現在はLEDタイプのペンライトが主流となっている[16]。それに前後して様々な形状のLEDタイプのペンライトが売られるようになり、先端がハート型や手の形をしたものをはじめ[17]、変わり種ではうちわ型やヘッドフォン型[18]などが開発されている。
スポーツにおいて
[編集]- 1964年東京オリンピック(関連)行事
- 1963年11月2日、国立競技場で、「オリンピック中央前年祭」[19]が開催され、7万人が参加した。国立競技場の観客席では、観衆の持つペンライトの光が灯っていた[20]。その様子は、1963年の1年間に朝日新聞等に掲載された写真を掲載した「朝日新聞報道写真集 1964」「特集・オリンピック準備すすむ」に掲載されている。
- この「オリンピック中央前年祭」は、1963年11月2日、NHK総合で「オリンピック前年祭」というタイトルで、生中継された。[21]
- その他のスポーツ大会での利用
- 1984年ロサンゼルスオリンピックでは観客にペンライトが配布され、閉会式で聖火の消灯後の演出として使用された[22]。また、同年12月に蔵前国技館での興行最終日を迎えた大相撲秋場所の千秋楽では力士が土俵の前に整列し、観客とともに「蛍の光」を歌いながらペンライトを振った[23][24]ほか、1985年8月のユニバーシアード神戸大会[25]や1985年12月のバレーボールワールドカップの閉会式では蛍の光が演奏されるなか選手や観客がペンライトの光を揺らした[26]。以上のエピソードから、ペンライトの光源に白熱球が使われていた1960年代から80年代、スポーツシーンにおいては応援ではなく主にセレモニーの演出としてキャンドルサービスの延長線上で利用されていたことがわかる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 「ペンライト」『デジタル大辞泉、精選版 日本国語大辞典』 。コトバンクより2024年7月11日閲覧。
- ^ 職場の運動会 1978.
- ^ 西城秀樹 (2016年8月24日). “<西城秀樹 ヒデキ!カンレキ!!> (23)ペンライト”. 東京新聞. <西城秀樹 ヒデキ!カンレキ!!>. 東京新聞. 2016年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月18日閲覧。
- ^ “【芸能】昭和、平成、令和…ペンライトが照らすアイドル文化 きっかけは西城秀樹さん/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online (2024年7月11日). 2024年7月11日閲覧。
- ^ a b Jタウンネット編集部 (2016年10月31日). “「ケミカルライト(サイリウム)」の歴史は、こんなに壮大だった! 老舗・ルミカに聞く開発秘話|Jタウンネット” (jp). Jタウンネット. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “ポスター 宝塚歌劇1974年11月東京宝塚”. 阪急文化アーカイブス. 2024年7月19日閲覧。
- ^ 宝塚歌劇団 監修 (1月 1975). “さよなら・真帆志ぶき”. 歌劇 (宝塚クリエイティブアーツ) (592): p、102.
- ^ 宝塚歌劇団 監修 (10月 1974). “公演ガイド”. 歌劇 (宝塚クリエイティブアーツ) (589): p、135.
- ^ 宝塚歌劇団 監修 (1月 1975). “高声・低声”. 歌劇 (宝塚クリエイティブアーツ) (592): p.151.
- ^ 永田 1983, p. 49.
- ^ 中部財界 1986.
- ^ & 小杉 1997, p. 21-23.
- ^ a b 音楽産業・文化振興財団 2011, p. 55.
- ^ “ITで輝く音楽ライブ 無線技術で会場が光の海に”. 日本経済新聞 (2014年1月15日). 2024年7月15日閲覧。
- ^ “オタ芸、ケミカルライト禁止……アイドルファンの“応援”、どこまで許される?”. ORICON NEWS. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “ペンライトの価格が急騰中…!?推し活の必需品「ペンライト」と「メンバーカラー」の意外な関係をご存知ですか(松本 英恵)”. +αオンライン | 講談社. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “LEDペンライト(立体・特殊形状)”. oem.lumica.co.jp. ルミカ. 2024年7月11日閲覧。
- ^ “SixTONES京本大我、グッズのペンライトを「最初に思い付いた悪魔は僕」 “まさかの形”が話題に”. Sirabee (2024年1月17日). 2024年7月11日閲覧。
- ^ 『オリンピック準備局事業概要 1964』東京都オリンピック準備局、1964年、81,82頁。
- ^ 『朝日新聞報道写真集 1964』朝日新聞社、1964年。
- ^ “オリンピック前年祭 NHKアーカイブス NHKクロニクル”. NHK. 2024年7月30日閲覧。
- ^ 小川 1984, p. 94.
- ^ 石川 1985.
- ^ 徳岡 1985.
- ^ 1985ユニバーシアード神戸大会公式報告書.
- ^ バレーボールワールドカップ報告書 1985.
参考文献
[編集]- 永田文夫,:William Hames「フリオのスペイン凱旋ツアー」『Latina ラティーナ:世界の音楽情報誌』第357巻、ラティーナ、1983年11月、48-51頁、NDLJP:7957276/25。
- 「イベント・展示会・セレモニーは、これからこう変る!!――’86レンタル・フェスティバル開催」『中部財界』第29巻第8号、中部財界社、1986年7月、97頁、NDLJP:2773935/49。
- 小杉昌弘(著)、日本自動車部品工業会(編)「世の中をもっと明るくする 新商品開発」『月刊自動車部品』第43巻第4号、自動車部品出版、1997年4月、21-23頁、NDLJP:3272507/16。
- 日本レクリエーション協会 編「プログラムの作成」『職場の運動会 : 企画から運営まで』成美堂出版、1978年、49頁。NDLJP:3272507/16。
- 小川明『感性時代の交流発想』エムジー出版、1984年、94頁。NDLJP:11985822/50。
- 徳岡孝夫「日本人が変わった」『たしかな目 : 国民生活センターの暮らしと商品テストの情報誌』第24巻、国民生活センター、1985年1月、30頁、NDLJP:1824789/16。
- 石川淑子「隠喩の語用論的考察」『相模女子大学紀要』第48巻、国民生活センター、1985年2月、30頁、NDLJP:1793090/108。
- 小川明「要綱」『バレーボールワールドカップ報告書 1985』日本バレーボール協会、1986年、90頁。NDLJP:12171928/48。
- 「閉会式」『1985ユニバーシアード神戸大会公式報告書』1985年ユニバーシアード神戸大会組織委員会、1986年、264頁。NDLJP:12138849/268。
- 音楽産業・文化振興財団「アニソンの世界進出における現状と課題~日本におけるアニソン事情とJAM Project の世界での活躍を追いながら、今後の展望を語る~」『経済産業省委託事業 平成22 年度コンテンツ国際取引市場強化事業(音楽に係る国際展開促進事業)実施報告書 東京国際ミュージックマーケット』(レポート)2011年3月、48-70頁。NDLJP:11241594。