キューケンホフ公園
キューケンホフ公園(キューケンホフこうえん、Keukenhof)は、オランダのリッセに位置する世界最大の花の公園である。Keukenhof(蘭: [ˈkøːkə(n)ˌɦɔf])とはオランダ語で「台所公園」「キッチンガーデン」のこと。別名のヨーロッパの公園ともいう。総面積 32 ヘクタール (79 エーカー) の園地に植えつける花の球根は毎年700万球にのぼる (公式サイトによる)[1]。
キューケンホフ公園のある南ホラント州の基礎自治体リッセは「砂丘と球根地域」と呼ばれる地域にあり、北のハールレム、北東のアムステルダムなど主な都市から近い。公園への行き来には鉄道のハールレム駅かライデン駅、またはアムステルダム・スキポール空港から連絡バスを利用できる。
例年、公園の公開は3月半ばから5月半ばの期間に決まっていて、天候に左右されるものの4月半ばころにチューリップの見ごろを迎える。
沿革
[編集]15世紀の猟場を敷地にしたキューケンホフ公園は、かつてここで栽培したハーブがジャクリーヌ・ド・ナノーの居城に運ばれたことから「キューケンホフ」 (城の台所に花を届けた敷地) という名前がついたという。ジャクリーヌの死後、地主は裕福な商人に代わり、17世紀、オランダ東インド会社の提督でこの地域を治めたAdriaen Maertensz Block[訳語疑問点]が1641年に大邸宅 (現在のキューケンホフ城) を建てるとここで余生を送った[2]。19世紀の持ち主はファン・パラント男爵カレルアン=エイドリアン夫妻 the Baron and Baroness Van Pallandt で、造園家 Jan David[訳語疑問点]とLouis Paul[訳語疑問点]のZocher[訳語疑問点]親子に園内を整備させる。ふたりにはフォンデル公園の設計をした実績があり、キューケンホフ城を囲む庭をデザインした[3]。
庭園の開園は1949年。当時のリッセ市長のアイデアで、オランダ国内ばかりでなく広くヨーロッパ全域から造園家を招いて屋外球根展示会[4]を開き、園芸種の球根のコンペの開催を決めたのである。これによってオランダの輸出産業を伸ばす意味もこめられた (オランダは世界最大の花卉 (かき) の輸出国)[注釈 1]。
庭園
[編集]園内にはいくつもの庭が作ってあり、色とりどりの花や樹木を使ったデザイン、さまざまなスタイルの区画があるなかでイングリッシュ・ガーデンはカーブした小道をたどると思いがけないところで景色が変わるように設計してあり、Zocher とアムステルダムのフォンデル公園地区ほかの造園家が手がけた1830年当時のおもかげをとどめている。垣根に囲まれた歴史庭園には昔の栽培種の一年草が保存され、また自然の庭区域では植え込みが水辺を囲み多年草と一年草の組み合わせが美しく咲き誇る。日本庭園は田園風景を斬新なデザインで再現した、わびの世界。キューケンホフ公園に行けばチューリップがどこまでも咲く野原が見られるという来園者の期待と異なり、園内でその眺めを楽しむことはできない。公園を取り巻いてチューリップ農家の広大な畑が広がるものの、畑はキューケンホフ公園のような公共の土地ではなくほぼすべて私有地のため、公園の入場券を持っているからと言って畑に入ること、無断で立ち入ることは厳しく禁止されている。
開園時間
[編集]毎年、3月半ばから5月半ばに公開 (2015年は3月20日から5月17日、花のパレードは5月25日) [8]。
キューケンホフ城[9]は年中いつでも見学でき、お城の祭りや「女性のナイトパーティー - 冬の古城」[10]などさまざまなイベントや行事が行われ、クリスマスフェアは有名な年中行事のひとつ[11] 。また城内を使ってクラシック音楽の演奏会が開かれる。
有名な来訪者
[編集]ユリアナ女王の後ろ盾を得て、キューケンホフの庭園はこれまで王族や名士をたくさん迎えている。1950年、最初の訪問者のなかに女王の3人の王女ベアトリクス、イレーネ、マルフリーテもいたのである。映画制作に情熱を傾けるベルンハルト王子は園内でユニークな作品を撮影し、オランダの王族はそれぞれにこの公園を訪れてきた。2001年、ウィレム・アレクサンダー王太子 (当時) とマキシマ王妃が初めて揃って国民に会ったのもこの地であり、ふたりが記念に植樹したセイヨウシナノキ Tilia europea には「王家の菩提樹」("Koningslinde") という名前がつけられた。また王太子は2003年の秋、オリンピックのメダル受賞者アンキー・ヴァン・グルンスヴェン (馬術) とピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド (競泳) と3人で園内に設けられたオリンピックの五輪マークをデザインした区画にひとつめのチューリップの球根を植えつけたのである。
2005年の記念式典でオランダ王女マルフリートが開園を宣言している。毎年1月に全国チューリップの日という恒例の行事が行われ、アムステルダムにチューリップの季節の始まりを告げる。ダム広場を埋め尽くす花のじゅうたんを眺めた人々は、午後には自由に花を拾って持ち帰ることを楽しみにしている。
写真集
[編集]チューリップの庭園
関連項目
[編集]注釈
[編集]- ^ 「各国におけるオランダ品の 花き市場シェア (切花) 」周辺国の花マーケットのオランダ産品のシェアは、2006年ではデンマーク、ベルギー、ドイツ、オーストリア、ロシアは全体の70%以上、年間切花消費額が世界で最も高いスイスは42%[5]。オランダの花き産業が世界で取扱量も生産量も世界1位、自国の国土が小さいことから輸出に特化。輸出先の9割はEU圏内でEU統合がされた今、今後のEU加盟国の拡大により対象市場が広がると輸出量は増える見込み。「輸出」という概念を前提に対応するシステム化、徹底した効率化が「いつでもどこでも安定した品質で、すぐに手に入る」という地位を確立[6]。またオランダの花き産業 (生産者、輸送業者、市場、小売業者) は取引規模 (最終購入者価格) で酪農と同程度の約940億円、花き産出額は4千8百億円 (農業総産出額の5.9%m相当) [7]。
脚注
[編集]- ^ キューケンホフ公園の利用案内 (英語・オランダ語・フランス語ほか) - 公式サイト
- ^ “Landgoed Keukenhof (キーエンホフ城について)” (オランダ語). 歴史的建造物の紹介サイト. 2016年2月6日閲覧。
- ^ “キューケンホフ公園の歴史” (英語・オランダ語・フランス語ほか). 公式サイト. 2016年2月6日閲覧。
- ^ “キューケンホフ公園 成り立ちの物語” (日本語). オランダ国際球根協会ニュースレター (オランダ国際球根協会 ) 2010 年 02 月号 (第 011 号). (2010) 2016年2月6日閲覧。.
- ^ 本田繁 (2009 (平成21) 年5月19日). オランダの花き産業レポート - プロモーションの仕組みとその背景. 財団法人 日本花普及センター 企画調査部.
- ^ 財団法人 日本花普及センター(委託先) (2009 (平成21) 年3月). オランダ花き輸出戦略調査報告書. 農林水産物貿易円滑化推進 委託事業. 2008 (平成20)年度. 農林水産省 生産局生産流通振興課 花き産業振興室 2016年2月6日閲覧。.
- ^ 農林水産省花き産業振興室 (2009 (平成21年) 4月). 花きをめぐる情勢. 農林水産省 .
- ^ “キューケンホフ公園の公開について” (英語・オランダ語・フランス語ほか). 公式サイト. 2016年2月6日閲覧。
- ^ “キューケンホフ城のご紹介” (英語). 公式サイト. 2016年2月6日閲覧。見学の案内、城の附属建造物を使った結婚式、研修会などの情報。
- ^ “女性のナイトパーティー - 冬の古城” (オランダ語). uitzinnig.nl (オランダ南部の観光・イベント情報サイト). 2016年2月6日閲覧。
- ^ “クリスマスフェア” (オランダ語・部分的に英語). vana-events.nl (イベント会社). February 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月6日閲覧。
外部リンク
[編集]キューケンホフ公園
- キューケンホフ公園 - 公式サイト
- 公園の写真 (スライドショー) - 写真サイト
- 公園の見学ツアーと園内の写真 - 旅行情報サイト
- オランダ大使館&総領事館 - オランダのキューケンホフ公園 - フェイスブックSNS
キューケンホフ城
- 城のイベント、施設の利用について - 公式サイト