キャメルクラッチ
キャメルクラッチ(Camel Clutch)は、プロレス技、関節技の一種である。日本名は駱駝固め(らくだがため)、馬乗り固め(うまのりがため)、腰挫体固(こしひしぎたいがため)[1][2]。メキシコではカバージョと呼ばれている[3]。
概要
[編集]うつ伏せになった相手の背中に乗り、首から顎を掴んで相手の体を海老反り状に引き上げて、背骨や首にダメージを与える。相手の両肩を自分の両膝にフックすることで、相手の両腕の自由を奪って仕掛ける場合もある。技を仕掛けている様子がラクダに乗って手綱を引いているように見えることが技名の由来である。
ザ・シークをはじめ、グレート・メフィスト、シーク・アドナン・アル=ケイシー、スカンドル・アクバ、アイアン・シーク、モハメド・ハッサンなど、ヒトコブラクダの原産地である中東ギミックのレスラーが得意技としていた。1983年12月26日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたWWFヘビー級選手権試合において、この技でアイアン・シークはボブ・バックランドからTKO勝ちを収めてWWF王者となった[4]。
カウボーイのギミックで活躍したネルソン・ロイヤルは、ラクダを馬に見立て「テキサス・ブロンコ・バックブリーカー」の名称で使用[3]。パワーファイター系のレスラーでは、スーパースター・ビリー・グラハムは「スーパースター・リクライナー」、グラハムの影響下にあったスコット・スタイナーは「スタイナー・リクライナー」と称して使っていた。ヒッピーをギミックとしていたマイク・ボイエッティは「ヒッピー・ホールド」なる技名を用いていた[5]。
ルチャリブレにおける「カバージョ」の考案者は、ゴリー・スペシャルの考案者でもあるゴリー・ゲレロ。エル・サントもメキシコでの使い手であり、息子のエル・イホ・デル・サントにも受け継がれている。
ジュニアヘビー級選手のタッグマッチでは、キャメルクラッチを仕掛けたパートナーへの援護として、技を仕掛けられている相手の顔面に低空ドロップキックを放つ動きがよく見られる。
高専柔道の流れをくむ七大学柔道を大学で経験する中井祐樹は、高校時代、「よし! これで、やっとプロレスを真剣勝負と言えるようになる」と第二次UWFに熱狂していた。しかし、キャメルクラッチが第二次UWFで決まるのを見て、これは真剣勝負ではないと熱は醒めていったと述べている[6]。
一方で1926年の柔道の技術書『新式柔道』で高専柔道六高の師範金光弥一兵衛は、理論に走り実際に適せぬ技または妙味に乏しい技、だとして谷落、朽木倒などの掲載を省略したが[7]、キャメルクラッチについては「腰挫体固」の名で、現今では腕以外の関節技は禁じられているが、修行者は他の関節技も知っておくべき、だとして足緘、足挫十字固(膝十字固め)と共に掲載した[8]。相手の上半身のホールドの仕方は両手を腋下に入れる方法と送襟絞の様にする方法を挙げている[1]。
漫画作品においては、『キン肉マン』『闘将!!拉麵男』に登場するラーメンマンの得意技として描かれており、「機矢滅留・苦落血」という当て字もなされていた。 『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』の3巻に収録されている「忘れ物は危険じゃっ!」の扉絵でも解説された。
主な使用者
[編集]- ザ・シーク
- グレート・メフィスト
- シーク・アドナン・アル=ケイシー
- スカンドル・アクバ
- アイアン・シーク
- ネルソン・ロイヤル
- スーパースター・ビリー・グラハム
- スコット・スタイナー
- モハメド・ハッサン
- サンジェイ・ダット
- ジンダー・マハル
- ゴリー・ゲレロ
- エル・サント
- エル・イホ・デル・サント
- ビッグ・ショー
- スペル・デルフィン
- 中川浩二
- 柏大五郎
- 金丸義信
派生技
[編集]前転式キャメルクラッチ
[編集]ローリング・キャメルクラッチとも呼ばれる。三沢光晴のオリジナル技。前転してうつ伏せの相手の上に馬乗りになりキャメルクラッチに移行する。
スタイナー・リクライナー
[編集]スコット・スタイナーのオリジナル技。 キャラクターチェンジ以後使用し始めた、スタンディング式の変形キャメルクラッチ。通常とは違い、自らが前屈に近い状態になり、膝立ち状態の相手の腕と首をロックするような形で締め上げる。全盛期のWCW末期は、スティングやゴールドバーグ、ダイヤモンド・ダラス・ペイジらの大物選手を下すなど、勝ち星を積み重ねていった。WWE所属時には首のみをクラッチするような普通のキャメルクラッチになっていたが、それ以前にほとんど見せることが無かった。
キャメルクラッチ・スリーパーホールド
[編集]藤田和之のオリジナル技。 相手の首をスリーパー・ホールドで捕らえるキャメルクラッチ。
クロス式キャメルクラッチ
[編集]柴田勝頼が若手時代に使用していたオリジナル技。相手の両脚をデスロック状に固めて極めるキャメルクラッチ。
極楽固め
[編集]新崎人生のオリジナル技。相手の両手首を攫み、両腕を相手の首元で交差させて極めるキャメルクラッチ。
涅槃
[編集]ミスター雁之助が新崎人生との抗争時に極楽固めに対抗して開発したオリジナル技。尻餅をついた相手をフルネルソンの体勢に捕えて、そのままうつ伏せの体勢に反転させて上体を起こして両手で菩薩の手の形を作って極めるキャメルクラッチ。
ドラゴンスリーパー式キャメルクラッチ
[編集]ドラゴンスリーパーの形で首を極めるキャメルクラッチ。ロウ・キーのドラゴンクラッチ、風間ルミのドラゴンパンサー、高木三四郎のDDT(デンジャラス・ドラゴンスリーパー・タカギ)、辰巳リカのホワイトドラゴンスリーパーなどがある。
トゥインクルスターロック
[編集]つくしのオリジナル技。腕ではなく足を使って極めるキャメルクラッチ。
レッドインク
[編集]オカダ・カズチカのオリジナル技。相手の両足をクロスさせてから極めるキャメルクラッチ。
9469
[編集]読みは「クシロック」。KUSHIDAのオリジナル技。浮固の体勢で相手の背中に膝を押し当ててから極めるキャメルクラッチ。
ワイバーン・キャッチ
[編集]谷口周平のオリジナル技。2019年より使用中のフィニッシュホールド。変型キャメルクラッチという名で使われていたものを本人がTwitterで命名。[要出典]背後から相手の片腕を上方に「く」の字に曲げて固定、さらに相手の首に自身の片腕を回してスリーパー・ホールドを決め、その状態のまま相手をうつ伏せにしてその上に馬乗りになって相手の背中を反らせる。
キャメルクラッチ式アームロック(ロンドン・ダンジョン)
[編集]小川良成のオリジナル技で、プロレスリング・ノア所属以降ここ一番でたびたび使用する技。フィニッシュになることも多い。アームロック(腕極め)式キャメルクラッチとも呼ばれる。うつ伏せにさせた相手の背中に馬乗りになり、自分の両腕で相手の片腕をV1アームロックのように後方に「く」の字に曲げて固め、その状態のまま相手の体を反らせる。プロレスリング・ノアに参戦していたナイジェル・マッギネスは、ノアマットで「ロンドン・ダンジョン」の名で初使用し、以降は主要技として使用した。
変形タズミッション
[編集]田中将斗のオリジナル技。キャメルクラッチの体勢で相手をタズミッションで相手の首、腕、背骨にダメージを与える技。
サーヴィカル・クラッチ
[編集]ヴィア・マハーンのオリジナル技。うつ伏せ状態の相手の背中に腰を下ろし、相手の右腕を自らの左脇下に抱えながら両手で頸部をクラッチして絞め上げる変形キャメル・クラッチ。技名のサーヴィカルは頸部の意味。
凶器使用型キャメルクラッチ
[編集]FMW全盛期に主にユニット「猛毒隊」のメンバーが使用。通常のキャメルクラッチに入る前にセコンドが凶器を手渡して、それを手に持ったままキャメルクラッチを決めて凶器を相手の額に押し付ける。もちろん、反則のため5カウントの対象となるがカウント4の手前でブレイクすることにより、延々と続けることができる。
サイコドリーム
[編集]斉藤ジュンのオリジナル技。立っている相手の背後からコブラクラッチを仕掛けつつ河津落としをかけ(テッド・デビアスのミリオンダラー・バスターと同型)、そこから手のホールドを解かずに相手を反転させて極めるキャメルクラッチ。
背挫
[編集]背挫(せしぎ)は片膝は立てもう一方の片脚は相手の肩上方に伸ばして地を踏んで両腕を相手の肩上方を通して両腋下に入れ臀部で相手の背を押し、両手を引きつけ相手を反らせてのキャメルクラッチ。神道六合流の技[9]。
脚注
[編集]- ^ a b 金光弥一兵衛『新式柔道』隆文館、日本、1926年5月10日、178-179頁 。
- ^ 高平鳴海『図説 関節技』(初版2刷)新紀元社、2009年5月20日、219頁。ISBN 978-4775304525。「キャメル・クラッチ・ホールド(略)腰挫体固」
- ^ a b “ネルソン・ロイヤルのテキサス・ブロンコ・バックブリーカー”. ミック博士の昭和プロレス研究室. 2017年3月27日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1983”. The History of WWE. 2018年9月3日閲覧。
- ^ “Mike Boyette”. Online World of Wrestling. 2024年5月7日閲覧。
- ^ 布施鋼治 (2022年5月13日). ““右目を失明しながらヒクソンと対戦した男”中井祐樹はなぜ憧れていたUWFと決別したのか?「真剣勝負にキャメルクラッチはありえない」”. Sports Graphic NumberWeb. 文藝春秋 Sports Graphic Number. 2024年8月28日閲覧。 “真剣と思いたい気持ちもあったし、守りたいという思いもあった。それでも、毎日とことん寝技を追求する者として、キャメルクラッチで決まる真剣勝負はありえない。講義への出席もそこそこに、大学の道場で週6日稽古し続けることで、中井のバックボーンは完全に七帝柔道になっていた。「相手の攻撃を“亀の状態”で守っている俺たちは、仮に殴られてもキャメルクラッチは食らわない」”
- ^ 金光弥一兵衛『新式柔道』隆文館、日本、1926年5月10日、87頁 。「右の他横落、帯落、谷落、朽木倒、引込返、横分、山嵐と名付けらるゝ業あれ共、理論に走り實際に適せぬもの又は業として妙味乏しきものなれば省略する。」
- ^ 金光弥一兵衛『新式柔道』隆文館、日本、1926年5月10日、154頁 。
- ^ 帝国尚武会 編『神道六合流柔術教授書』(龍虎之巻 第四期)帝國尚武會、日本、1917年1月31日。NDLJP:1704216/。「脊挫」