キッチナー伯爵
キッチナー伯爵 | |
---|---|
Arms:Gules a Chevron Argent surmounted by another Azure between three Bustards proper un the centre chief point a Bezant Crest:A Stag's Head erased transfixed through the neck by an Arrow in bend point to the dexter all proper and between the attires a Horseshoe Or Supporters:On the dexter side a Camel proper, bridle, trappings and line pendent, reflexed over the back Gules, gorged with a Collar Or, suspended therefrom an Escutcheon paly bendy Azure and Ermine, a Canton of the last, charged with a Portcullis Gold, and on the sinister side a Gnu proper, gorged as the dexter, suspended therefrom an Escutcheon Ermine charged with a Chevron engrailed Vert, thereon four Horse-Shoes, also Gold
| |
創設時期 | 1914年7月27日 |
創設者 | ジョージ5世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代伯ホレイショ・ハーバート・キッチナー |
最終保有者 | 3代伯ヘンリー・キッチナー |
相続資格 | 本文を参照。 |
付随称号 | キッチナー子爵 ブルーム子爵 キッチナー男爵(1898-1916) デントン男爵 |
現況 | 廃絶 |
断絶時期 | 2011年12月16日 |
邸宅 | ウェスターゲート・ウッド |
モットー | Thorough |
キッチナー伯爵(英: Earl Kitchener)は、かつて存在したイギリスの伯爵位。ホレイショ・ハーバート・キッチナー陸軍元帥が1914年に叙位されたことに始まるが、第3代キッチナー伯爵ヘンリー・キッチナーの死をもって2011年に廃絶した[1]。
歴史
[編集]ホレイショ・ハーバート・キッチナー(1850–1916)はスーダン戦役やボーア戦争に参加した軍人で、第一次世界大戦を総力戦と見切ってキッチナー陸軍を創始した人物である[2]。彼はスーダン戦役後の1898年11月1日に連合王国貴族として「サフォーク州アスポールのキッチナー・オブ・カルトゥーム男爵(Baron Kitchener of Khartoum, of Aspall in the County of Suffolk)」に叙された[1][3][4]。キッチナーは続くボーア戦争後も爵位を得ている。すなわち、1902年7月11日に「サフォーク州アスポール及びトランスバール植民地ヴァールにおけるキッチナー・オブ・カルトゥーム子爵,(Viscount Kitchener of Khartoum, of the Vaal in the Colony of the Transvaal and of Aspall in the County of Suffolk)に陛爵した[1][4][5]。この爵位には彼の兄弟にも相続を認める特別継承権が定められており、後の叙爵でも同様の相続条件が定められている[注釈 1][1][5]。彼はさらに元帥昇進後の1914年7月27日に連合王国貴族爵位の「カルトゥーム及びブルームのキッチナー伯爵(Earl Kitchener of Khartoum and of Broome)」、「ケント州ブルームのブルーム子爵(Viscount Broome, of Broome in the County of Kent)」、「ケント州デントンのデントン男爵(Baron Denton, of Denton in the County of Kent)」を授けられている[1][4][6]。しかし、元帥は生涯未婚であったことから彼の死後は弟ヘンリーが爵位を継承した[注釈 2][4]。
2代伯ヘンリー(1846–1937)は生前に長男に先立たれたため、その孫ヘンリーが爵位を相続している[1]。
3代伯ヘンリー(1919–2011)はICIに籍を置く物理学者であった[7]。その彼が生涯未婚のまま死去すると、すべての爵位は廃絶した[1]。3代伯の姪エマ・キッチナー(Emma Kitchener、1963-)はマイケル王子妃マリー=クリスティーヌ付女官を務めた人物である[1][8]。その夫で俳優ジュリアン・フェロウズ(1949-)は「こと爵位継承に関して、申し分なく良識ある成人女性にまったく相続権がないというのは不合理だと思う」と述べて、エマ夫人が爵位を継げない不満をあらわにした[9]。これを受けて2012年5月9日にエマ夫人に対して『伯爵の娘と同格の地位、敬称使用を認める』勅許[注釈 3]がくだる一幕があった[10]。
キッチナー伯爵(1914年)
[編集]- 初代キッチナー伯爵ホレーショ・ハーバート・キッチナー (1850–1916)
- 第2代キッチナー伯爵ヘンリー・エリオット・シェヴァリエ・キッチナー (1846–1937)
- ブルーム子爵ヘンリー・フランクリン・シェヴァリエ・キッチナー (1878–1928)
- 第3代キッチナー伯爵ヘンリー・ハーバート・キッチナー (1919–2011)(2011年に爵位廃絶)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ キッチナーの男子及び娘の男子に加えて、彼の兄ヘンリーとその男子、彼の弟フレデリック・ウォルターとその男子にも継承を認めていた[5]。
- ^ この際に元帥の直系男子に継承を求める1898年創設の男爵位は廃絶した。
- ^ 同勅許では、3代伯に先んじて死去した弟チャールズ・キッチナー(Charles Kitchener、1920-1982、エマ・キッチナーの父)がいまだ存命で爵位を兄より継いだと仮定して、その娘エマが得べかりし権利・敬称を認める趣旨[10]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Heraldic Media Limited. “Kitchener of Khartoum and of Broome, Earl (UK, 1914 - 2011)” (英語). www.cracroftspeerage.co.uk. Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2020年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月30日閲覧。
- ^ Neilson, Keith. "Kitchener, Horatio Herbert, Earl Kitchener of Khartoum". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/34341。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ "No. 27019". The London Gazette (英語). 1 November 1898. p. 6375.
- ^ a b c d Arthur G.M. Hesilrige (1921). Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. p. 531
- ^ a b c "No. 27459". The London Gazette (英語). 29 July 1902. p. 4834.
- ^ "No. 28853". The London Gazette (英語). 28 July 1914. p. 5866.
- ^ “Earl Kitchener of Khartoum”. The Telegraph (London). (23 December 2011) 21 May 2014閲覧。
- ^ Lynn, Barber (28 November 2004). “Jolly good Fellowes”. The Observer (London, UK) 20 July 2010閲覧。
- ^ Anita Singh. “Julian Fellowes: inheritance laws denying my wife a title are outrageous”. 『The Telegrah』. 2021年1月20日閲覧。
- ^ a b "No. 60152". The London Gazette (英語). 23 May 2012. 2021年1月20日閲覧。