ACキエーヴォ・ヴェローナ
ACキエーヴォ・ヴェローナ | ||||
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原語表記 | Associazione Calcio ChievoVerona S.r.l. | |||
愛称 |
I Gialloblu (The Yellow and Blues) I Mussi Volanti ("The Flying Donkeys" in Venetian) Céo ("Chievo" in Venetian) Squadra della Diga (Dam Team) Clivensi | |||
クラブカラー | 青と黄 | |||
創設年 | 1929年 | |||
所属リーグ | セリエD・ジローネB | |||
所属ディビジョン | 4部 | |||
ホームタウン | ヴェローナ | |||
ホームスタジアム | スタディオ・モンティンドン, サンタンブロージョ・ディ・ヴァルポリチェッラ[1] | |||
収容人数 | 2,000人 | |||
代表者 | セルジオ・ペリッシエ | |||
監督 | リッカルド・アッレグレッティ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
アッソチャツィオーネ・カルチョ・キエーヴォヴェローナ(Associazione Calcio ChievoVerona S.r.l.)は、イタリア・ヴェローナを本拠地として活動しているサッカークラブチーム。
概略
[編集]キエーヴォというのはヴェローナの地区名の一つ[2]。同じくヴェローナのスタディオ・マルカントニオ・ベンテゴディをホームスタジアムとしているエラス・ヴェローナFC[2]との試合はダービーマッチとして盛り上がる。一地方都市の、その一地区を本拠に置くクラブがトップカテゴリーに昇格したのは長いイタリアサッカー史においても、このクラブが初である。
チームは1929年に設立、2001-02シーズンでセリエAに初昇格した[2]。昇格初シーズンは5位でシーズンを終え、一時は首位に立つなどその躍進は"ミラクル・キエーヴォ"と呼ばれた。2005-06シーズンは当初は7位でUEFAカップの出場が決まっていたが、ユヴェントスFC、SSラツィオ、ACFフィオレンティーナが不正事件でUEFAチャンピオンズリーグ(CL)出場権を剥奪されたため繰り上がり、4位扱いでクラブ史上初めてCL出場権を得ることになった。だが2006-07シーズンは、CL予備予選3回戦でブルガリアのレフスキ・ソフィア相手に不覚を取ったことをきっかけに終始低迷。最終節でカルチョ・カターニアに0-2で敗れセリエB降格が決まった。翌2007-08シーズンはセリエBで優勝し、1年でのセリエA復帰に成功。2018-19シーズンは過去3年に渡る不正会計が発覚し、勝ち点3を剥奪[3]。シーズンも低迷を続け、2019年4月14日にSSCナポリに1-3で敗れセリエB降格が決まった[4]。2020-21シーズンは8位に終わり、セリエA昇格プレーオフには臨んだものの、1回戦のヴェネツィアFC(5位)に敗れセリエA復帰は果たせなかった。
2021年7月26日、財政難により、カンピオナート・インテッレジョナーレに属していた1985-86シーズン以来となるセリエDへの降格が決まった[5]。
2021年8月21日、セリエDの登録期限までにクラブの買取り手が現れずクラブは消滅することになった[6]。
2021年8月24日、クラブのレジェンドであるセルジオ・ペリッシエによって、後継クラブとなるFC Clivenseが発足した。
キエーヴォの背番号30は自動車事故のため26歳で死亡したFWジェイソン・マイェレ(en:Jason Mayélé)に敬意を表すため、背番号31はキエーヴォで長きにわたり活躍したペリッシェを讃えるため、それぞれ永久欠番に指定されていた。
チームカラー
[編集]ワンマン・オーナーのチームによく見られる金に物を言わせる大型補強は全くと言って良いほどせず、収支に合ったクラブ経営をしている。
典型的なプロヴィンチャであるが故、ワールドクラスの選手は皆無に等しい。無名の若手か、他のクラブで「もう終わった」と烙印を押されて追い出された選手で構成されている。しかし、若手選手の育成と伸び悩んでいる選手の再生には実績があり、このクラブをきっかけにビッグクラブに移籍したり、選手としてもう一華咲かせる選手を毎年の様に輩出している。
また、そういった選手が移籍する時に発生する莫大な移籍金や、若手選手をセリエB、セリエC等の下部カテゴリーにレンタルする際に発生するレンタル料でチーム財政を成立させている。
これはチームの親会社である「パルアーニ」(it:Paluani)が、イタリアでは有名な菓子メーカーだが年間売上高が日本円にして50億円しかない故、チームの補強に無駄な金は使えず、知恵と情報を使った補強を余儀なくされているからである。
タイトル
[編集]国内タイトル
[編集]- セリエB:1回
- 2007-08
- セリエC1:1回
- 1993-94(ジローネA)
- セリエC2:1回
- 1988-89(ジローネB)
- カンピオナート・インテッレジョナーレ:1回
- 1985-86(ジローネC)
- プロモツィオーネ・ヴェネータ:1回
- 1974-75(ジローネA)
- セコンダ・カテゴリア・ヴェネータ:4回
- 1958-60(ジローネA), 1964-65(ジローネA), 1967-68(ジローネA), 1968-69(ジローネA)
- セコンダ・ディヴィジオーネ・ヴェネータ:1回
- 1950-51(ジローネA)
- セコンダ・カテゴリア・ヴェロネーゼ・セツィオーネ・プロパガンダFIGC:2回
- 1934-35(ジローネ・ウーニコ), 1935-36(ジローネ・ウーニコ)
- セコンダ・カテゴリア・ヴェロネーゼ・ウニオーネ・リベーラ・イタリアーナ・デル・カルチョ:2回
- 1932-33(ジローネA), 1934-35(ジローネ・ウーニコ)
- ユース
- カンピオナート・プリマヴェーラ:1回
- 2013-14
- トルネオ・インテルナツィオナーレ・マッジョーニ=リーギ:2回
- 2003, 2001
- トルネオ・チッタ・ディ・アルコ:1回
- 2003
国際タイトル
[編集]なし
過去の成績
[編集]シーズン | ディビジョン | コッパ・イタリア | 欧州カップ | 最多得点者 | ||||||||||
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リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | 選手 | 得点数 | ||||
1975-76 | セリエD | 34 | 11 | 10 | 13 | 36 | 34 | 32 | 10位 | |||||
1976-77 | セリエD | 34 | 11 | 8 | 15 | 27 | 35 | 30 | 15位 | |||||
1977-78 | セリエD | 34 | 11 | 13 | 10 | 44 | 39 | 35 | 8位 | |||||
1978-79 | セリエD | 34 | 9 | 14 | 11 | 37 | 49 | 32 | 11位 | |||||
1979-80 | セリエD | 34 | 9 | 12 | 13 | 21 | 33 | 30 | 13位 | |||||
1980-81 | セリエD | 34 | 10 | 11 | 13 | 33 | 36 | 31 | 11位 | |||||
1981-82 | カンピオナート インテッレジョナーレ |
30 | 9 | 11 | 10 | 27 | 31 | 29 | 8位 | Alberto Vanoni | 7 | |||
1982-83 | カンピオナート インテッレジョナーレ |
30 | 9 | 9 | 12 | 29 | 31 | 27 | 12位 | Fausto Nosè | 8 | |||
1983-84 | カンピオナート インテッレジョナーレ |
30 | 10 | 10 | 10 | 22 | 20 | 30 | 9位 | Paolo Galli | 7 | |||
1984-85 | カンピオナート インテッレジョナーレ |
30 | 9 | 14 | 7 | 40 | 29 | 32 | 7位 | Giovanni Sartori | 11 | |||
1985-86 | カンピオナート インテッレジョナーレ |
30 | 18 | 8 | 4 | 44 | 14 | 44 | 1位 | Giovanni Sartori | 17 | |||
1986-87 | セリエC2 | 34 | 11 | 16 | 7 | 24 | 23 | 38 | 4位 | Flavio Fiorio | 7 | |||
1987-88 | セリエC2 | 34 | 15 | 13 | 6 | 36 | 22 | 43 | 4位 | Flavio Fiorio | 13 | |||
1988-89 | セリエC2 | 34 | 18 | 12 | 4 | 41 | 15 | 48 | 1位 | Flavio Fiorio | 15 | |||
1989-90 | セリエC1 | 34 | 10 | 15 | 9 | 37 | 31 | 35 | 6位 | Flavio Fiorio | 12 | |||
1990-91 | セリエC1 | 34 | 8 | 15 | 11 | 23 | 29 | 31 | 14位 | Franco Lerda | 8 | |||
1991-92 | セリエC1 | 34 | 8 | 18 | 8 | 32 | 35 | 34 | 7位 | Riccardo Gori | 13 | |||
1992-93 | セリエC1 | 32 | 12 | 10 | 10 | 36 | 34 | 34 | 7位 | Riccardo Gori | 8 | |||
1993-94 | セリエC1 | 34 | 19 | 11 | 4 | 46 | 23 | 68 | 1位 | Riccardo Gori | 12 | |||
1994-95 | セリエB | 38 | 10 | 14 | 14 | 35 | 38 | 44 | 13位 | 2回戦敗退 | Michele Cossato | 10 | ||
1995-96 | セリエB | 38 | 9 | 20 | 9 | 37 | 30 | 47 | 14位 | 2回戦敗退 | Michele Cossato | 8 | ||
1996-97 | セリエB | 38 | 12 | 18 | 8 | 44 | 40 | 54 | 7位 | 2回戦敗退 | Raffaele Cerbone | 20 | ||
1997-98 | セリエB | 38 | 12 | 14 | 12 | 43 | 43 | 50 | 10位 | 1回戦敗退 | Raffaele Cerbone | 12 | ||
1998-99 | セリエB | 38 | 11 | 15 | 12 | 37 | 40 | 48 | 11位 | ベスト32 | Ciro De Cesare | 10 | ||
1999-00 | セリエB | 38 | 11 | 14 | 13 | 48 | 53 | 47 | 15位 | GS敗退 | Massimo Marazzina | 17 | ||
2000-01 | セリエB | 38 | 19 | 13 | 6 | 54 | 34 | 70 | 3位 | GS敗退 | Bernardo Corradi | 13 | ||
2001-02 | セリエA | 34 | 14 | 12 | 8 | 57 | 52 | 54 | 5位 | GS敗退 | Massimo Marazzina | 13 | ||
2002-03 | セリエA | 34 | 16 | 7 | 11 | 51 | 39 | 55 | 7位 | 準々決勝敗退 | UC | 1回戦敗退 | フェデリコ・コッサート | 9 |
2003-04 | セリエA | 34 | 11 | 11 | 12 | 36 | 37 | 44 | 9位 | ベスト16 | フェデリコ・コッサート | 6 | ||
2004-05 | セリエA | 38 | 11 | 10 | 17 | 32 | 49 | 43 | 15位 | 2回戦敗退 | セルジオ・ペリッシエ | 7 | ||
2005-06 | セリエA | 38 | 13 | 15 | 10 | 54 | 49 | 54 | 4位 | 3回戦敗退 | セルジオ・ペリッシエ | 13 | ||
2006-07 | セリエA | 38 | 9 | 12 | 17 | 38 | 48 | 39 | 18位 | 準々決勝敗退 | UCL | 予選3回戦敗退 | セルジオ・ペリッシエ | 9 |
UC | 1回戦敗退 | |||||||||||||
2007-08 | セリエB | 42 | 24 | 13 | 5 | 77 | 43 | 85 | 1位 | 1回戦敗退 | セルジオ・ペリッシエ | 22 | ||
2008-09 | セリエA | 38 | 8 | 14 | 16 | 35 | 49 | 38 | 16位 | 3回戦敗退 | セルジオ・ペリッシエ | 14 | ||
2009-10 | セリエA | 38 | 12 | 8 | 18 | 37 | 42 | 44 | 14位 | ベスト16 | セルジオ・ペリッシエ | 12 | ||
2010-11 | セリエA | 38 | 11 | 13 | 14 | 38 | 40 | 46 | 11位 | ベスト16 | セルジオ・ペリッシエ | 11 | ||
2011-12 | セリエA | 38 | 12 | 13 | 13 | 35 | 45 | 49 | 10位 | 準々決勝敗退 | セルジオ・ペリッシエ | 8 | ||
2012-13 | セリエA | 38 | 12 | 9 | 17 | 37 | 52 | 45 | 12位 | 4回戦敗退 | シリル・テレオー | 13 | ||
2013-14 | セリエA | 38 | 10 | 6 | 22 | 34 | 54 | 36 | 16位 | ベスト16 | アルベルト・パロスキ | 15 | ||
2014-15 | セリエA | 38 | 10 | 13 | 15 | 28 | 41 | 43 | 14位 | 3回戦敗退 | アルベルト・パロスキ | 9 | ||
2015-16 | セリエA | 38 | 13 | 11 | 14 | 43 | 45 | 50 | 9位 | 3回戦敗退 | アルベルト・パロスキ | 8 | ||
2016-17 | セリエA | 38 | 12 | 7 | 19 | 43 | 61 | 43 | 14位 | ベスト16 | ロベルト・イングレーゼ | 12 | ||
2017-18 | セリエA | 38 | 10 | 10 | 18 | 36 | 59 | 40 | 13位 | 4回戦敗退 | ロベルト・イングレーゼ | 13 | ||
2018-19 | セリエA | 38 | 2 | 14 | 22 | 25 | 75 | 17 | 20位 | 4回戦敗退 | マリウシュ・ステピンスキ | 6 | ||
2019-20 | セリエB | 38 | 14 | 14 | 10 | 48 | 38 | 56 | 6位 | 3回戦敗退 | フィリップ・ジョルジェヴィッチ | 9 | ||
2020-21 | セリエB | 38 | 14 | 14 | 10 | 50 | 37 | 56 | 8位 | 2回戦敗退 | ルカ・ガッリターノ |
欧州の成績
[編集]シーズン | 大会 | ラウンド | 対戦相手 | ホーム | アウェー | 合計 | |
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2002-03 | UEFAカップ | 1回戦 | ツルヴェナ・ズヴェズダ | 0–2 | 0–0 | 0–2 | |
2006-07 | UEFAチャンピオンズリーグ | 予選3回戦 | レフスキ・ソフィア | 2–2 | 0–2 | 2–4 | |
UEFAカップ | 1回戦 | ブラガ | 2–1 (a.e.t.) |
0–2 | 2–3 |
現所属メンバー
[編集]- 2021年1月31日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- 永久欠番
- 30 ジェイソン・マイェレ
- 31 セルジオ・ペリッシエ
レンタル移籍
[編集]- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
[編集]- アルベルト・マレザーニ 1993-1997
- ルイジ・デルネーリ 2000-2004, 2006-2007
- マリオ・ベレッタ 2004-2005
- マウリツィオ・ダンジェロ 2005
- ジュゼッペ・ピッロン 2005-2006
- ジュゼッペ・イアキーニ 2007-2008
- ドメニコ・ディ・カルロ 2008-2010, 2011-2012
- ステファノ・ピオリ 2010-2011
- エウジェニオ・コリーニ 2012-2013, 2013-2014
- ジュゼッペ・サンニーノ 2013
- ロランド・マラン 2014-2018
- ロレンツォ・ダンナ 2018
- ジャンピエロ・ヴェントゥーラ 2018
- ドメニコ・ディ・カルロ 2018-2019
- ミケーレ・マルコリーニ 2019-2020
- アルフレード・アッリェッティ 2020-2021
- マルコ・ザッファローニ 2021
- リッカルド・アッレグレッティ 2021-2024
歴代所属選手
[編集]- クリスティアーノ・ルパテッリ 2001-2003
- ルカ・マルケジャーニ 2003-2005
- ジュリオ・セザル 2005
- アルベルト・フォンターナ 2005-2006
- ステファノ・ソレンティーノ 2008-2013
- マウリツィオ・ダンジェロ 1988-2003
- ロレンツォ・ダンナ 1994-2007
- サルヴァトーレ・ランナ 1996-2007
- マルコ・ザンキ 1996-1997
- ニコラ・レグロッターリエ 1998-2000, 2001-2003
- ファビオ・モーロ 2002-2009
- ジョン・メンサー 2002-2005
- アンドレア・バルツァッリ 2003-2004
- マリオ・ジェペス 2008-2010
- マルコ・アンドレオッリ 2010-2013
- ステファノ・フィオーレ 1996-1997
- エウジェニオ・コリーニ 1999-2003
- クリスティアン・マンフレディーニ 2000-2002
- シモーネ・バローネ 2000-2003
- ルシアーノ 2000-2013
- シモーネ・ペッロッタ 2001-2004
- ダニエル・アンデション 2002-2003
- マリオ・サンターナ 2003-2004
- ロベルト・バローニオ 2003-2005
- フランコ・セミオーリ 2003-2007
- マッテオ・ブリーギ 2004-2007
- パオロ・サンマルコ 2004-2007
- フェデリコ・ジュンティ 2005-2007
- マウロ・エスポージト 2008-2009
- マイケル・ブラッドリー 2011-2012
- マッシモ・マラッツィーナ 1996-2000, 2001-2003
- フェデリコ・コッサート 1997-2008
- ベルナルド・コッラーディ 2000-2002
- ダヴィデ・スッチ 2000-2005
- オリバー・ビアホフ 2002-2003
- セルジオ・ペリッシエ 2002-2019
- マウリシオ・ピニージャ 2003
- アマウリ 2003-2006
- シモーネ・ティリボッキ 2004-2007
- ビクトル・オビンナ 2005-2008
- ダビド・ディ・ミケーレ 2012-2013
エンブレム
[編集]1980年代、チームはヴェローナ県の紋章にある梯子をデザインしたエンブレムを用いていた。しかし同地区を本拠とするエラスのサポーターもシンボルマークに梯子を使っていたため、変更せざるを得なくなった。梯子は元々、13世紀頃に当地を支配したスカラ家の紋章に由来していたが、変更にあたりスカラ家の廟にあるカングランデ1世・デッラ・スカラ騎馬像をモチーフに採用した[2]。
この頃、当時の会長が「いつかヴェローナでダービーマッチをやりたい」と発言した。これに対しエラスのサポーターが「キエーヴォとダービーをやるようになったらロバも羽を生やして飛んでいくよ(つまり、そんな事は絶対にありえないという事)」とからかった。この出来事の後、5部に所属していたキエーヴォは順調に昇格を果たし、2001年11月18日についにダービーは実現した[2]。
厳密にはエンブレムの動物は馬だが、この出来事以来サポーターからは「il musso volanto(空飛ぶロバ)」と呼ばれ、クラブのマスコットもロバである。ただし、クラブはエンブレムの動物が何であるか公式な見解を示していない[2]。
脚注
[編集]- ^ “Dove gioca il Chievo Verona in Serie D: scelto il nuovo stadio”. Goal.com. 20 July 2024閲覧。
- ^ a b c d e f エンブレムの世界 キエーボ『サッカーマガジン』2012年5月8日号、ベースボール・マガジン社、斉藤健仁、2012年、雑誌23882-5/8, 055頁。
- ^ “遅すぎるキエーヴォ勝ち点剥奪にクロトーネ会長が激怒「最低だ。馬鹿げている」” (jp). フットボールチャンネル. 2018年9月14日閲覧。
- ^ “Chievo Verona vs. Napoli - Football Match Report - April 14, 2019 - ESPN” (英語). ESPN.com. 2019年5月7日閲覧。
- ^ “財政難キエーボ、セリエB登録認められず破産… セリエDに降格” (jp). 超ワールドサッカー!. 2021年7月27日閲覧。
- ^ “「人生で最も悲しい日」 キエーヴォ消滅へ…買い手なしで期限切れ” (jp). Qoly. 2021年8月23日閲覧。