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キエフ県 (ロシア帝国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
県章
1914年のキエフ県の地図

キエフ県ロシア語: Киевская губерния)は帝政ロシア、後にウクライナ・ソビエト社会主義共和国の県(グベールニヤ)である。1708年に設立され、幾度かの区分変更を経たのち、1925年に廃止された。県庁はキエフに置かれた。

歴史

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1708年の帝政ロシア領・左下の黄色がキエフ県
20世紀初頭の県域


キエフ県が設立したのは1708年12月18日のことである[1]。これはロシアで最初に県制(グベールニヤ制)が敷かれた際の、最初の8県のうちの1つであった[2]。設立時のキエフ県は55の都市を有した。初代キエフ県知事にはドミトリー・ゴリツィン(ru)が任命された[3]。 1719年、県の下位区分としてプロヴィンツィヤが設置され、キエフ(ru)、ベルゴロド(ru)、オリョール(ru)、セフスク(ru)の4プロヴィンツィヤに区分された。その後1728年、上記のうちキエフを除く3つのプロヴィンツィヤを併せてベルゴロド県(ru)が設立した。

1781年、ナメストニチェストヴォ制が導入され、行政区分名がグベールニヤからナメストニチェストヴォとなった。またプロヴィンツィヤが廃され、下位区分は9の郡(ウエズド)に再編された。

1796年、ナメストニチェストヴォ制が廃止され、再びグベールニヤ制が採用された際に、キエフに、ブラツラフ(ru)、ヴォルィーニ(ru)の2つのナメストニチェストヴォを併せた、新たな区画のキエフ県(グベールニヤ)となった。

最終的な、20世紀初頭のキエフ県は12郡に区分され、その下位区分としては12市(ゴロド)、205郷(ヴォロスチ)、111大村(メステチコ)、その他の集落(セロ等)7339が存在した。郡警察分区(スタン)は19世紀末の段階で40に区分されていた。

ロシア革命後、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の管轄となるが、同国は1925年に、国の次位の行政区分を管区(オクルグ)としたため、キエフ県はいくつかの管区に分割する形で消滅した。

下位区分・人口

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キエフ県の下位区分
行政中心地 面(露里²) 郷全域人口[4](人) 行政中心地人口[4](人)
県全体 キイウ 44777.9 355,9229 45,9253
ベルジチェフ郡(ru) ベルドィチウ(ru) 2953.9 27,9695 5,3351
ヴァシリコフ郡(ru) ヴァスィリキウ 3961.7 31,5823 1,3132
ズヴェニゴロドカ郡(ru) ズヴェヌィホロドカ(ru) 2893.8 27,4704 1,6923
カネフ郡(ru) カニウ 2868.6 26,8860 8855
キエフ郡(ru) キイウ 4958.0 54,1483 24,7723
リポヴェツ郡(ru) ルィポヴェツィ 2540.6 21,1825 8658
ラドムィスリ郡(ru) ラドムィシュリ(ru) 8429.0 31,5629 1,0906
スクヴィラ郡(ru) スクヴィラ(ru) 3270.1 25,1257 1,7958
タラシチャ郡(ru) タラシチャ(ru) 2934.3 24,5752 1,1259
ウマニ郡(ru) ウマニ 3774.2 32,0744 3,1016
チェルカッスィ郡(ru) チェルカースィ 3163.0 30,7542 2,9600
チギリン郡(ru) チヒルィン 2876.7 22,5915 9872
[註]
・郡名はロシア語に基づく。行政中心地名はウクライナ語に基づく。
・面積は平方ベルスタ(露里)。1ベルスタ = 約1067メートル[5]
・人口は1897年の統計による。
斜体は行政中心地の各市の人口の総数。
民族比率(1897年[6]
ウクライナ人 ユダヤ人 ロシア人 ポーランド人 ドイツ人
県全体 79.2 % 12.1 % 5.9 % 1.9 %
ベルジチェフ郡 66.9 % 23.1 % 3.6 % 5.8 %
ヴァシリコフ郡 83.6 % 12.1 % 2.2 % 1.8 %
ズヴェニゴロドカ郡 88.0 % 9.7 % 1.4 %
カネフ郡 88.7 % 9.7 %
キエフ郡 56.2 % 11.1 % 26.6 % 3.4 % 1.1 %
リポヴェツ郡 82.0 % 15.0 % 1.1 % 1.9 %
ラドムィスリ郡 78.4 % 13.1 % 3.9 % 1.9 % 2.3 %
スクヴィラ郡 83.5 % 12.5 % 1.3 % 2.4 %
タラシチャ郡 87.6 % 9.4 % 1.8 %
ウマニ郡 85.4 % 11.7 % 1.8 %
チェルカッスィ郡 84.9 % 9.8 % 4.2 %
チギリン郡 89.4 % 8.6 % 1.4 %

行政の長

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出身者

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出典

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  1. ^ Полное собрание законов Российской империи 2.218
  2. ^ 田中陽兒、倉持俊一、和田春樹編『世界歴史大系 ロシア史 2 -18世紀~19世紀-』山川出版社、1994年。P28
  3. ^ 6 марта 1711. Об именовании некоторых лиц губернаторами и вице-губернатором // Бумаги императора Петра I / Изданы академиком А. Бычковым. — СПб.: Типография II отделения Собственной Его Императорского Величества канцелярии, 1873. — С. 185.
  4. ^ a b Демоскоп Weekly. Первая всеобщая перепись населения Российской Империи 1897 г. Наличное население в губерниях, уездах, городах Российской Империи (без Финляндии)
  5. ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P87
  6. ^ Демоскоп Weekly — Приложение. Справочник статистических показателей