デビッド・ヒース
ギャングレル | |
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2007年 | |
プロフィール | |
リングネーム |
ギャングレル バンパイア・ウォリアー デストラクション ザ・ブラックハート ザ・ドルイド ザ・ウォーロック ブラック・ファントム |
本名 | デビッド・ヒース |
ニックネーム | 吸血鬼 |
身長 | 188cm |
体重 | 120kg(全盛時) |
誕生日 | 1969年2月16日(55歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 フロリダ州タンパ |
トレーナー | ディーン・マレンコ |
デビュー | 1988年 |
デビッド・ヒース(David William Heath、1969年2月16日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。フロリダ州タンパ出身[1]。
ギャングレル(Gangrel、日本では「ガングリル」「ギャングリル」「ガングレル」と表記される場合もある)、バンパイア・ウォリアー(The Vampire Warrior)などのリングネームで知られる。
元妻は往年の名レスラー、ブッチャー・バション(マッドドッグ・バションの実弟)の娘であるルナ・バション[2]。
来歴
[編集]ディーン・マレンコのトレーニングを受け、1988年にデビュー[3]。地元フロリダのインディー団体を経てカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングに参戦し、トム・ナッシュとの覆面タッグチーム、ザ・ブラックハーツ(The Blackhearts)を結成[4]。ナッシュはアポカリプス、ヒース自身はデストラクションを名乗り、黒装束に白い仮面、その下には顔全体が隠された黒覆面という、『オペラ座の怪人』をイメージした怪奇派タッグとしてセンセーショナルな存在となる。
1991年2月にはブラックハーツとして全日本プロレスに初来日[5]。来日前に専門誌で特集が組まれるなど前人気は上々だったが、キャリア不足もあって試合では活躍を果たせなかった。同年9月の再来日ではダグ・ファーナス&ダニー・クロファットのカンナム・エクスプレスが保持するアジアタッグ王座に挑戦。後楽園ホールでスタン・ハンセン&ダニー・スパイビーとも対戦している[6]。
その後ブラックハーツを脱退して素顔になり、1993年にメンフィスのUSWAで吸血鬼ギミックのバンパイア・ウォリアーに変身。後に妻となるルナ・バションをマネージャーに従え、ジェフ・ジャレットからUSWA南部ヘビー級王座を奪取した。1994年にはIWAジャパンに来日し、1995年はECWに登場してトミー・ドリーマーと抗争。その後フロリダに戻り、アゴニーことバリー・ヒューストンとブラックハーツを再編、1997年にルナを帯同してIWAジャパンに再来日した(1996年にも、トム・ナッシュとのオリジナル版ブラックハーツを再結成してIWAジャパンに参戦している)[7]。
1998年8月、吸血鬼ギミックはそのままに、ギャングレルのリングネームでWWF(現・WWE)に登場。血(を模した液体)の入ったゴブレットを手に炎の中から登場し、その血をリングインの際に口に含んで噴射させる入場パフォーマンスでヒール人気を呼ぶ[1]。同年11月よりエッジ、クリスチャンとゴシック系ユニットのザ・ブルード(The Brood)を結成[8]。後にこの3人はジ・アンダーテイカー率いる「ミニストリー・オブ・ダークネス」の一員となった。エッジ&クリスチャンと別れた後は、彼らと反目していたハーディー・ボーイズを仲間に引き入れニュー・ブルードを組むが短命に終わる[9]。以降は『ヒート』など前座番組のポジションに甘んじ、体重増加の問題もあって2001年8月にWWFを解雇された[1]。
インディー団体を転戦した後、2004年にWWEと再契約を交わす。9月16日のスマックダウンではミニストリー時代の盟友ヴィセラと共にアンダーテイカーとジョン・ブラッドショー・レイフィールドの番外戦に乱入、かつての主君アンダーテイカーを襲撃した[1]。翌週にはヴィセラとのコンビでアンダーテイカーとのハンディキャップ・マッチが組まれるが敗退[10]。以降は出演機会を与えられずにフェードアウトした[1]。
2005年3月よりWWEの下部組織OVWに登場し、その後WWEにも登場予定だったが7月5日に解雇[1]。2006年、WWE内の第3ブランドとして復活したECWに出演予定で再々契約を交わすも、このときも一度も番組に登場することなく2007年に契約を解除された。その後、同年12月10日に行われたRAW15周年記念大会の15人参加バトルロイヤルに出場している[11]。
以降は居住地のカリフォルニアを拠点に、西海岸や深南部のインディー団体で活動。イギリスのオールスター・プロモーションズなどヨーロッパにも頻繁に遠征した。2009年11月にはハルク・ホーガンがオーストラリアにて開催したイベントであるハルカマニアに参戦[12]。2010年8月13日にはJCWに登場し、PPVの "Legends & Loonies" にてケビン・ソーンと吸血鬼タッグを結成して試合を行った[13]。2014年6月14日、トミー・ドリーマーが主宰するHOH(House Of Hardcore)に参戦。マット・ストライカーと組んでリキシ&Xパックと対戦。最後にストライカーがリキシからバンザイドロップを決められ敗退した[14]。
追記
[編集]- 彼の妻だったルナ・バションは、もともとはブラックハーツの相方トム・ナッシュと結婚していた[15][16]。バションはナッシュと別れた後、ヒースと1994年に再婚し2児をもうけたが、2006年に離婚している[17]。
- 近年はアノアイ・ファミリーのリキシとブラック・パールがカリフォルニアにて主宰するKPA(KnokX Pro Academy)のトレーナーを兼任しながらレスラー活動を続けている[18]。
得意技
[編集]入場曲
[編集]- Brood
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “Gangrel”. Online World of Wrestling. 2015年8月3日閲覧。
- ^ “Luna Vachon”. Cagematch. 2015年11月7日閲覧。
- ^ “Gangrel”. Cagematch. 2015年11月7日閲覧。
- ^ “Blackhearts”. Online World of Wrestling. 2015年11月7日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Gangrel in 1991 (1)”. Wrestlingdata.com. 2015年11月7日閲覧。
- ^ “The AJPW matches fought by Gangrel in 1991 (2)”. Wrestlingdata.com. 2015年11月7日閲覧。
- ^ “ギャングレル / レスラーノート”. ダークロHP. 2013年6月11日閲覧。
- ^ “Brood”. Online World of Wrestling. 2015年11月7日閲覧。
- ^ “New Brood”. Online World of Wrestling. 2015年11月7日閲覧。
- ^ “WWE SmackDown #267”. Cagematch. 2015年11月7日閲覧。
- ^ “WWE Monday Night RAW #759 - 15th Anniversary”. Cagematch. 2015年11月7日閲覧。
- ^ “Hulkamania "Let the Battle Begin" 2009”. Online World of Wrestling. 2010年1月24日閲覧。
- ^ “JCW Flashlight Wrestling - Legends & Loonies”. Cagematch. 2010年8月14日閲覧。
- ^ “House of Hardcore VI 6/14/14 Valley Center, CA results”. HouseOfHardcore.net. 2014年6月14日閲覧。
- ^ “Luna Vachon”. Online World of Wrestling. 2010年9月4日閲覧。
- ^ “Tom Nash”. Online World of Wrestling. 2010年9月4日閲覧。
- ^ “Conversations with Gangrel”. AdultFYI.com: November 15, 2007. 2007年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月4日閲覧。
- ^ “KnokX Pro Training Program”. Knokx Pro Entertainment. 2014年7月25日閲覧。
外部リンク
[編集]- Online World of Wrestling
- Gangrelのプロフィール - Cagematch.net, Wrestlingdata.com, Internet Wrestling Database