カール (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公)
カール Karl | |
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グリュックスブルク公カール | |
グリュックスブルク公 | |
配偶者 | ヴィルヘルミーネ・フォン・デーネマルク |
家名 | グリュックスブルク家 |
父親 | フリードリヒ・ヴィルヘルム |
母親 | ルイーゼ・カロリーネ |
出生 |
1813年9月30日 デンマーク王国 シュレースヴィヒ公国、シュレースヴィヒ、ゴットルフ城 |
死亡 |
1878年10月24日(65歳没) ドイツ帝国 プロイセン王国、ルイーゼンルント |
宗教 | キリスト教ルーテル教会 |
カール・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク(ドイツ語: Karl von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg, 1813年9月30日 - 1878年10月24日)は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公(在位:1831年 - 1878年)。デンマーク語名はカール・ア・スレースヴィ・ホルステン=セナーボー=グリュクスボー(Carl af Slesvig-Holsten-Sønderborg-Glücksborg)。デンマーク王クリスチャン9世の長兄にあたる。
生涯
[編集]グリュックスブルク公フリードリヒ・ヴィルヘルムとその妻のヘッセン=カッセル公女ルイーゼ・カロリーネの長男としてゴットルフ城で生まれる。
1831年にフレゼリク6世からオレンボー歩兵連隊の大尉に任じられ、その3週間後の父の死に伴ってシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公爵位を相続した。
1838年5月19日、コペンハーゲンのアマリエンボー宮殿で従姉のデンマーク王女ヴィルヘルミーネ・マリーエ(フレゼリク6世の六女)と結婚した。ヴィルヘルミーネ・マリーエは再従兄のフレゼリク王子(後のデンマーク王フレゼリク7世)と離婚しており、カールとは再婚であった。
第一次シュレースヴィヒ戦争の際、カールはドイツ連邦側に与したため、デンマーク王室との関係が悪化した。戦争勃発時はキールに居住していたが、すぐにドレスデンに移った。1852年にデンマーク王室と和解した後はデンマークに戻り、夏はルイーゼンルント、冬はグリュックスブルク城に居住した。
ヴィルヘルミーネとの間に子供はなく、1878年にルイーゼンルントで死去した。死後は次弟のフリードリヒが後を継いだ。
脚注
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