カール・ヨーゼフ・シュレーター
表示
カール・ヨーゼフ・シュレーター | |
---|---|
生誕 |
Carl Joseph Schröter 1855年12月19日 ヴュルテンベルク王国、エスリンゲン |
死没 |
1939年2月7日(83歳没) スイス、チューリッヒ |
研究分野 | 植物学、植物生態学 |
研究機関 | チューリッヒ工科大学 |
出身校 | チューリッヒ工科大学 |
影響を 受けた人物 | アルベルト・ハイム |
命名者名略表記 (植物学) | Schröt. |
プロジェクト:人物伝 |
カール・ヨーゼフ・シュレーター(独: Carl Joseph Schröter、1855年12月19日 - 1939年2月7日)は、スイスの植物学者、植物生態学者。生まれはドイツのエスリンゲンである[1]。
アルプス山脈を中心とした高山植生の研究[1]で名高く、フランスの植物学者シャルル・フラオーと共に[2]、植物群落単位の基本として群集(Assoziation)を用いることを提議し、植物生態学に「個生態学」と「群生態学」を設けて植物社会学の発展に貢献した。
生涯
[編集]1855年12月19日、ヴュルテンベルク王国(現ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州)のエスリンゲンに生まれる。
スイス連邦工科大学の一つチューリッヒ工科大学に進学する。
チューリッヒ工科大学では同国出身の植物学者カール・エドゥアルト・クラメールの助手となり、同国出身の地質学者、博物学者であるオズヴァルト・ヘールの後に1926年まで母校の植物学教授となる。
1910年にブリュッセルで開かれた国際植物学者会議ではフランスの植物学者フラオーと共に、当時混乱していた植物群落の単位の基本とし、群集を用いることを主張し、その後、群系と対立して学会に認められた[1]。
その後、国際植物学会の用語委員会のリーダーとして植物生態学用語の統一に尽力した[3]。
1939年2月7日、チューリッヒで亡くなる。
脚注
[編集]- ^ a b c 万有百科大事典 1972, p. 313.
- ^ 大日本百科事典 1967, p. 322.
- ^ グランド現代百科事典 1983, p. 407.
参考文献
[編集]- 佐竹義輔、清水基夫、亘理俊次 著、相賀徹夫 編『万有百科大事典 19 植物』(初版)小学館〈日本大百科全書〉(原著1972年10月10日)。
- 鈴木泰二 編『グランド現代百科事典 15 シツキーシヨウオ』学習研究社(原著1983-6-1)。
- 澤田嘉一 編『大日本百科事典 9 しやーしんさ』小学館(原著1967年11月20日)。