カール・ボーム
カール・ボーム | |
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カール・ボーム | |
基本情報 | |
出生名 | Carl Bohm |
生誕 | 1844年9月11日 |
出身地 | プロイセン王国、ベルリン |
死没 |
1920年4月4日(75歳没) ドイツ国、 プロイセン自由州、ベルリン |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト、作曲家 |
担当楽器 | ピアノ |
ヨーハン・フリードリヒ・カール・ゲルハルト・ボーム(ドイツ語: Johann Friedrich Carl Gerhard Bohm, 1844年9月11日 - 1920年4月4日)は、プロイセン王国及びドイツ国のピアニスト、作曲家。
人物・来歴
[編集]カール・ボームは、ベルリンのフリードリヒ・ヴェルダーシュ・ギムナジウムの数理科学の教師であったフリードリヒ・エドゥアルド・ボーム博士の8人兄弟の長男として生まれた。咽喉の持病のため1847年に測量技師として再教育を受け、「王室測量技師」となった。職業活動のため、カール・ボームはケーニヒスベルク・イン・デア・ノイマルクとアーロルゼンで育ったが、遅くとも1868年までにはベルリンに戻った[1]。
カール・ボームは当初、ピアニストとして名を馳せた。ハンス・ビショフ、フロドアルド・ガイヤー、アウグスト・ライスマンの弟子だった[2]。その後作曲を始め、軽音楽に転向した。オペレッタ、合唱曲《ヘンゼルとグレーテル》、ソナタ、ヴァイオリンとピアノの小品(作品番号330まで)を数多く作曲した[3]。最もよく知られているのは歌曲で、最も有名なのはピアノ伴奏の声楽曲「Still wie die Nacht」(作品 326-27)である[4]。ルドルフ・ショック、フリッツ・ヴンダーリッヒ、ハイノ、ヘルゲ・ロズヴァーンゲなど、多くの歌手によって歌われているほか、ジェイムズ・ラストによっても編曲されている。この曲は、現在でも教会の結婚式で演奏されることがある。
カール・ボームは没後ベルリンのヴィルマースドルフ墓地に埋葬され、墓碑には彼の有名な歌の最初の小節が刻まれている。この墓石は、彼の弟で建築家・画家のアドルフ・ボームがデザインしたものである[5]。
出典
[編集]- ^ Spring, S. 318, 319, 324
- ^ Paul Frank, Wilhelm Altmann: Kurzgefaßtes Tonkünstler Lexikon, Leipzig 1926, S. 42, zitiert nach Spring, S. 317
- ^ Paul Frank, Wilhelm Altmann: Kurzgefaßtes Tonkünstler Lexikon, Leipzig 1926, S. 48, zitiert nach Spring, S. 317
- ^ Ausgabe des Liedes beim Verlages N. Simrock GmbH, Berlin o. J., zitiert nach Spring, S. 317
- ^ Spring, S. 317, 322
外部リンク
[編集]- Sound carrier of - ドイツ国立図書館の蔵書目録(ドイツ語)より。