カーハンプトン伯爵
カーハンプトン伯爵(カーハンプトンはくしゃく、英: Earl of Carhampton)は、アイルランド貴族の爵位。1785年に創設され、1829年に廃絶した。
歴史
[編集]ダブリン県ラットレルズタウン城出身で、名誉革命期にジェームズ2世を支持したジャコバイトのヘンリー・ラットレル(c.1655–1717)の次男サイモン・ラットレル(1713–1787)は、1730年に兄の遺産を相続したのち、1755年から1780年までグレートブリテン庶民院議員を務め、1768年10月13日にアイルランド貴族であるダブリン県ラットレルズタウンのアーナム男爵に、1781年1月9日にコーク県キャッスルヘイヴンのカーハンプトン子爵に、1785年6月23日にカーハンプトン伯爵に叙された[1]。爵位名のアーナムはリンカンシャーの地名で、カーハンプトンはサマセット州の地名であり、いずれもラットレル姓の家系の所領だったが、『完全貴族要覧』第2版(1913年)によればサイモン・ラットレルと同じ家系であるとする証拠はない[1]。
2代伯爵ヘンリー・ローズ・ラットレル(1737?–1821)は陸軍軍人で、グレートブリテン庶民院議員も務めた人物であり、ミドルセックス選挙事件でジョン・ウィルクスと敵対した[2]。3代伯爵ジョン・ラットレル(c.1740–1829)もグレートブリテン庶民院議員も務めた人物で、初代ウォルサム男爵ジョン・オルミアス(1711–1762)の娘と結婚し、1786年に「オルミアス」を姓に加えた[3]。しかし嫡子に先立たれ、1829年に死去すると爵位はすべて廃絶した[3]。遺産は3代伯爵の娘フランシス・マリア(1768–1848)とマリア・アン(1799–1861)が相続した[3]。
カーハンプトン伯爵(1785年)
[編集]- 初代カーハンプトン伯爵サイモン・ラットレル(1713年 – 1787年)
- 第2代カーハンプトン伯爵ヘンリー・ローズ・ラットレル(1737年? – 1821年)
- 第3代カーハンプトン伯爵ジョン・ラットレル=オルミアス(1740年ごろ – 1829年)
出典
[編集]- ^ a b Cokayne, Gibbs & Doubleday 1913, p. 23.
- ^ Cokayne, Gibbs & Doubleday 1913, p. 24.
- ^ a b c Cokayne, Gibbs & Doubleday 1913, p. 25.
参考文献
[編集]- Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 23–25.