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カレ=プルゲール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Carhaix-Plouguer

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏
(département) フィニステール県
(arrondissement) シャトーラン郡
小郡 (canton) カレ=プルゲール小郡
INSEEコード 29024
郵便番号 29270
市長任期 クリスティアン・トローデック
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes du Poher
人口動態
人口 8 156人
2008年[1]
人口密度 316人/km2
住民の呼称 Carhaisien, Carhaisienne
地理
座標 北緯48度16分42秒 西経3度34分02秒 / 北緯48.278334度 西経3.567223度 / 48.278334; -3.567223座標: 北緯48度16分42秒 西経3度34分02秒 / 北緯48.278334度 西経3.567223度 / 48.278334; -3.567223
標高 平均:104m
最低:69m
最高:169 m
面積 25.81km2
Carhaix-Plouguerの位置(フランス内)
Carhaix-Plouguer
Carhaix-Plouguer
公式サイト Site officiel
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カレ=プルゲールCarhaix-Plouguerブルトン語:Karaez-Plougêr)は、フランスブルターニュ地域圏フィニステール県コミューン

地理

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カレ=プルゲールは、コルヌアイユ地方を構成するエリア、ポエル(fr)に属する。北をアレ山地、南をノワール山地にはさまれている。西になだらかになる標高約400mの高原に市街が広がる。この高原は北をイエール川谷によって阻まれている(ローマ時代、標高60mの地点でイエール川を渡るために橋がかけられた)。

フランス革命後にコミューンとなったカレとプルゲールは、1956年に合併してカレ=プルゲールとなった。

由来

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コルヌアイユ伯爵が署名した憲章において、『サン・キジュー教会の場所、Caer Ahesに近いヴィッラを贈り物とする』(don d'une villa située près de Caer Ahes, dans laquelle se trouve l'église de sanctus Kigavus)との記載が残る。これがカレの最古の記載である。ブルトン語ではKaraezとなる(11世紀のコルヌアイユ伯オエルの憲章ではCarahesとつづられた。これは『要塞化された場所』を意味する言葉kaerに接頭辞が付いたものである)。カレは確かに、中世の文書に記されたCarahesを背景にもつコミューンである。

19世紀、住民はKaer AhèsのAhèsとは失われた都・イスを治めていたグラドロン王の娘のことだと信じていた。

歴史

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19世紀末、カレの家畜市場

歴史家たちは、ガロ=ローマ時代にガリア系のオシスミ族の主要なまちであったVorgiumが現在のカレであると認めている。Vorgiumについて2世紀の地理学者プトレマイオスがふれている。また、タブラ・ペウティンゲリアナにも記されている[2]

1830年、ナント・ア・ブレスト運河が開通すると、この地方はスレート岩の切り出しと農業で栄えた。20世紀初頭には、規模の大きな家畜市場で有名だった。19世紀末から20世紀初頭、ブルターニュ鉄道線路事業(fr)の中心にすえられ(カレを中心としてガンガンモルレーカンペールへの路線があった)、鉄道の保守点検の部門を備えたジャンクションとなった。

ブルトン語

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2004年9月27日、カレ=プルゲール議会はブルトン語の日常生活での使用を促進するYa d'ar brezhoneg憲章を批准した。2007年秋、コミューンの児童のうち24.2%がブルトン語・フランス語の二言語学校Diwanに在籍していた[3]。カレの位置がブルターニュ西部の中心となるため、授業の大半がブルトン語で行われるDiwanのリセを設置する要素となっている。

経済

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ダンボール製造、アグロビジネス、サービス業、行政サービス、インキュベーション事業、鉄道の旅客事業が行われている。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
6 065 7 049 8 210 8 591 8 198 7 655 7 676

参照元:1968年以降Insee[4],[5]

観光

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姉妹都市

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脚注

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  1. ^ populations légales 2008 sur le site de l’INSEE
  2. ^ Bernard Tanguy, "Des cités et diocèses chez les Coriosolites et les Osismes", Bulletin de la Société archéologique du Finistère, tome CXIII, 1984
  3. ^ Ofis ar Brezhoneg: Enseignement bilingue
  4. ^ "Évolution et structure de la population (de 1968 à 2007)" (PDF). Insee. 2010年11月21日閲覧
  5. ^ "Recensement de la population au 1er janvier 2006". Insee. 2010年11月21日閲覧