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カルロス・メイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カルロス・メイ
Carlos May
シカゴ・ホワイトソックス時代
(1971年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州バーミングハム
生年月日 (1948-05-17) 1948年5月17日(76歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1966年 MLBドラフト1巡目でシカゴ・ホワイトソックスから指名
初出場 MLB / 1968年9月6日
NPB / 1978年4月1日
最終出場 MLB / 1977年10月2日
NPB / 1981年9月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

カルロス・メイCarlos May, 1948年5月17日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州バーミングハム出身の元プロ野球選手外野手)。右投左打。実兄のリー・メイMLB選手。

概要・人物

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1966年シカゴ・ホワイトソックスからドラフト1巡目で指名され入団。1969年1972年にはMLBオールスターゲームに選出されている。1969年オフに兵役に従事した際、事故により右手親指の第一関節から先を欠損する。しかしこの怪我を克服すべく独自に編み出した打法で通算1127安打を記録するなどメジャーの中心選手となった。1976年5月ニューヨーク・ヤンキース1977年9月カリフォルニア・エンゼルスにそれぞれ移籍。ヤンキース時代にはワールドシリーズに出場したが9打数無安打に終わっている。

1977年オフ野村克也選手兼任監督の退団と柏原純一放出のため、打線強化を急務とする南海ホークスに入団。1979年にはアキレス腱断裂で戦線離脱した門田博光に代わり打線の中心を担った。入団より3年連続打率3割をマークし、低迷が続いたチームの4番打者として活躍したが、4年目の1981年大腿後側筋挫傷と靭帯損傷により成績が低迷。9月29日に解雇通告を受け翌9月30日に退団、その日のうちに帰国した。門田は「久しぶりに迫力のある外国人やった。本人に聞いたらバズーカ砲で指を落としたらしい。指がなくてもうまいこと放るんよ。それにクローズドスタンスでよお打った。一度は大リーグへの道を諦めかけたらしいが、努力でたどり着いた。勇気づけられた。入院生活をするうちに、もう一度ホームランを打つまでやめないぞ、という気になった。」と語っている[1]

ホワイトソックス時代、背番号17を着用したことによって、背ネームと合わせると「May 17」になり、歴代メジャーリーグ選手でただ一人の誕生日を背負った選手となった。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1968 CHW 17 71 67 4 12 1 0 0 13 1 0 0 1 0 3 1 0 15 1 .179 .214 .194 .408
1969 100 434 367 62 103 18 2 18 179 62 1 4 0 3 58 7 6 66 11 .281 .385 .488 .873
1970 150 643 555 83 158 28 4 12 230 68 12 5 0 6 79 9 3 96 25 .285 .373 .414 .788
1971 141 574 500 64 147 21 7 7 203 70 16 7 1 5 62 5 6 61 16 .294 .375 .406 .781
1972 148 615 523 83 161 26 3 12 229 68 23 14 0 4 79 14 9 70 10 .308 .405 .438 .843
1973 149 617 553 62 148 20 0 20 228 96 8 6 1 5 53 5 5 73 14 .268 .334 .412 .747
1974 149 604 551 66 137 19 2 8 184 58 8 9 2 4 46 3 1 76 9 .249 .306 .334 .640
1975 128 534 454 55 123 19 2 8 170 53 12 7 0 4 67 13 9 46 12 .271 .373 .374 .747
1976 20 72 63 7 11 2 0 0 13 3 4 0 0 0 9 0 0 5 0 .175 .278 .206 .484
NYY 87 333 288 38 80 11 2 3 104 40 1 1 1 5 34 2 5 32 6 .278 .358 .361 .720
'76計 107 405 351 45 91 13 2 3 117 43 5 1 1 5 43 2 5 37 6 .259 .344 .333 .677
1977 65 203 181 21 41 7 1 2 56 16 0 0 1 3 17 4 1 24 7 .227 .292 .309 .601
CAL 11 23 18 0 6 0 0 0 6 1 0 0 0 0 5 0 0 1 1 .333 .478 .333 .812
'77計 76 226 199 21 47 7 1 2 62 17 0 0 1 3 22 4 1 25 8 .236 .311 .312 .623
1978 南海 123 487 414 51 129 17 2 12 186 80 8 3 2 7 54 2 10 57 14 .312 .398 .449 .847
1979 117 460 398 59 122 15 1 26 217 75 3 3 0 9 46 3 7 63 10 .307 .380 .545 .925
1980 124 485 423 66 138 24 0 27 243 75 6 1 0 4 51 4 7 55 11 .326 .404 .574 .978
1981 51 187 162 21 42 4 0 5 61 22 3 1 0 0 23 0 2 25 4 .259 .358 .377 .735
MLB:10年 1165 4723 4120 545 1127 172 23 90 1615 536 85 53 7 39 512 63 45 565 112 .274 .357 .392 .749
NPB:4年 415 1619 1397 197 431 60 3 70 707 252 20 8 2 20 174 9 26 200 39 .309 .390 .506 .896

記録

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NPB
  • 初出場:1978年4月1日、対阪急ブレーブス前期1回戦(阪急西宮球場)、4番・左翼手で先発出場
  • 初安打:1978年4月2日、対阪急ブレーブス前期2回戦(阪急西宮球場)、足立光宏から
  • 初本塁打:1978年4月3日、対阪急ブレーブス前期3回戦(阪急西宮球場)、6回表に白石静生からソロ

背番号

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  • 17(1968年 - 1976年途中、1978年 - 1981年)
  • 38(1976年途中 - 1977年途中)
  • 44(1977年途中 - 同年終了)

脚注

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  1. ^ 大阪日刊スポーツ編著『感涙!ナニワ野球伝説』朝日新聞出版、2011年、P200

関連項目

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外部リンク

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