カルジャン
カルジャン | |
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卡熱疆峰 | |
最高地点 | |
標高 | 7,221 m (23,691 ft) [1] |
プロミネンス | 880 m (2,890 ft) |
親山頂 | クーラカンリ |
座標 | 北緯28度15分29秒 東経90度38分50秒 / 北緯28.258122度 東経90.647163度座標: 北緯28度15分29秒 東経90度38分50秒 / 北緯28.258122度 東経90.647163度 |
地形 | |
所在地 | チベット自治区 |
所属山脈 | ヒマラヤ山脈 |
登山 | |
初登頂 | 未登頂 |
プロジェクト 山 | |
カルジャン(卡熱疆峰)は、チベット自治区の中国=ブータン国境付近にある山である。ヒマラヤ山脈に属する。
最高峰はカルジャンI峰(またはカルジャン南峰)で、標高は7221メートル[1]であり、世界で2番目に高い未踏峰である[2]。他にカルジャン北峰(7196メートル)、カルジャンII峰(または中央峰、7045メートル)、カルジャンIII峰(またはタプトルカンリ、6820メートル)と、無名の6400メートル峰からなる。
登頂歴
[編集]最高峰のカルジャンI峰は未登頂のままである。オランダ隊が2001年9月から10月にかけて登頂に挑戦したが、成功しなかった[3]。このグループはHaroen Schijf、Rudolf van Aken、Pepijn Bink、Court Haegens、Willem Horstmann、Rein-Jan Koolwijkからなる。このグループはカルジャンIII峰の登頂には成功した。Schijfによれば、カルジャンI峰は非常に切り立っていて昇るのが困難であり、また、天候が悪く登頂は危険だった[4]。
2010年、ジョー・パーイヤーとデイビッド・ゴットリーブがカルジャンI峰の登頂に挑戦し、シプトン=ティルマン賞を獲得した。ただし、彼らは必要な許可を取っていなかった。彼らはカルジャンの西420キロメートルのラブチェカンの登頂にも挑戦したが、そこでパーイヤーが滑落死した[2]。
カルジャンII峰(中央峰)は、1986年に新郷信廣率いる日本ヒマラヤ協会隊が初登頂した[5][4]。日本隊はカルジャンI峰に登頂したと主張している[6]が、カルジャンI峰登頂に挑戦したオランダ隊(先述)によれば、日本隊の記録の内容から、日本隊が登頂したのはカルジャンII峰である[4]。
脚注
[編集]- ^ a b Ramesh Chandra Bisht (1 January 2008). International Encyclopaedia Of Himalayas (5 Vols.). Mittal Publications. p. 34. ISBN 978-81-8324-265-3 26 January 2013閲覧。
- ^ a b Lindsay Griffin (2010年10月28日). “Noted American killed in Tibet”. British Mountaineering Council (BMC). 2012年1月26日閲覧。
- ^ “Nederlandse Karjiang expeditie 2001”. Pionieren.org. 2012年1月16日閲覧。
- ^ a b c John Harlin, ed (2002-09-01). “Climbs and Expeditions: Tibet - Karjiang attempt, Taptol Kangri and Kangmi Kangri first ascents”. American Alpine Journal (American Alpine Club): 433–434. ISBN 978-0-930410-91-9 2012年1月26日閲覧。.
- ^ The Himalayan Club Newsletter. Himalayan Club. (1985). p. 27 26 January 2013閲覧。
- ^ “遠征隊の記録 -1980年代-”. 日本ヒマラヤ協会. 2019年11月28日閲覧。