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カリーム・ガルシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カリム・ガルシアから転送)
カリーム・ガルシア
Karim Garcia
レオン・ブラボーズ 監督
キンタナロー・タイガース時代
(2013年12月6日)
基本情報
国籍 メキシコの旗 メキシコ
出身地 ソノラ州シウダ・オブレゴン
生年月日 (1975-10-29) 1975年10月29日(49歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1992年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1995年9月2日
NPB / 2005年3月26日
KBO / 2008年3月29日
最終出場 MLB / 2004年8月24日
NPB / 2006年9月27日
KBO / 2011年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム メキシコの旗 メキシコ
WBC 2006年2009年2013年
獲得メダル
男子 野球
メキシコの旗 メキシコ
パンアメリカン競技大会
2007

グスタボ・カリーム・ガルシア・アグアヨGustavo Karim Garcia Aguayo, 1975年10月29日 - )は、メキシコ出身の元プロ野球選手外野手)。

経歴

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メジャー時代

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1992年ロサンゼルス・ドジャースと契約し、1995年9月2日にメジャーデビュー。

1998年には新球団アリゾナ・ダイヤモンドバックスでプレーし、開幕戦でチーム第1号の本塁打を放つ。1999年から在籍したデトロイト・タイガースでは、2000年に移籍してきた野茂英雄とチームメイトだった。

2003年ニューヨーク・ヤンキース松井秀喜とともにプレーした。同年のボストン・レッドソックスとのアメリカンリーグ優勝決定シリーズで、敵地の球団職員と乱闘事件を起こした。また、ペドロ・マルティネス危険球を投げられて激昂した。

2004年ニューヨーク・メッツに移籍し松井稼頭央とはチームメートだったが、同年7月にボルチモア・オリオールズトレードされた。

メジャーでは通算488試合に出場し打率.241、66本塁打、212打点の成績を残した。

オリックス時代

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2005年オリックス・バファローズに入団。合併球団の外国人選手第1号だった。同時入団のクリフ・ブランボーと共に主軸を期待されたが、5月まで1本塁打にとどまり二軍落ちも経験した。しかし、再昇格後は4番に定着しチーム最多の21本塁打を放った。8月10日、翌11日(対楽天戦)で1試合3本塁打を記録し、2試合連続1試合3本塁打の世界記録を達成。これが決め手となり8月の月間MVPを受賞した。シーズンオフの契約更改では交渉は難航したものの、最終的には年俸ダウンで合意し残留となった。

2006年は開幕前にWBCメキシコ代表に選ばれ、途中で故障するまで一番打者として3試合に出場し、打率.429の好成績を残した。しかしシーズンに入ると極度の不振に陥り、最終的に2年連続でチーム最多となる13本塁打を放ったものの、打撃全部門で前年より数字を落とした。7月2日の試合前練習ではベンチで長電話をしていたため、監督の中村から懲罰として欠場を言い渡されるトラブルも起こした。成績不振に加えて素行の悪さも問題視され、シーズン終了後に戦力外通告を受けて退団した。

オリックス退団後

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2007年フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだがメジャー復帰は果たせず、退団後はメキシカンリーグモンテレイ・サルタンズでプレーした。

2008年1月14日、韓国野球委員会(KBO)のロッテ・ジャイアンツに入団。2008年北京五輪野球最終予選のメキシコ代表にも選ばれた。7月10日ウリ・ヒーローズ戦では、ライトへの安打性の当たりを即座に一塁に送球し「ライトゴロ」を達成するなど、走攻守すべてでシーズン通して活躍。また、KBOの外国人選手として初めてオールスターファン投票1位を獲得する快挙も成し遂げた。最終的に111打点を挙げて打点王のタイトルを獲得し、チームの3位躍進に大きく貢献した。

2009年WBCメキシコ代表に2大会連続で選ばれたが、ほとんど出番はなくチームは2次ラウンドで敗退した。この年はリーグワーストの三振を喫し、打撃全部門で前年を下回る成績しか残せなかった。それにもかかわらず最終的には2010年もロッテと契約し、同球団で3年連続プレーする初の外国人野手となった。

2010年、9月8日の対サムスン・ライオンズ戦で審判の判定に抗議したため退場処分となり、さらにこの処分に対してツイッターで不満を述べたため、後日公式戦7試合の出場停止処分を受けた。同年はロッテ入団後ワーストの成績に終わり、投手不足のチーム事情も重なってシーズン終了後に解雇された。

2011年は、再びメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズでプレーしていたが、不振により退団したフリオ・デポーラの代役として、6月4日にハンファ・イーグルスと契約し韓国球界に復帰した。シーズン途中加入にもかかわらず18本塁打を記録し、サヨナラ本塁打を2本打つなど勝負強さが光ったが、打率が低迷したため同年限りで退団となった。

メキシカンリーグ時代

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2012年は、再びメキシカンリーグのモンテレイ・サルタンズでプレー。

2013年もサルタンズと契約するが、5月22日にトレードでキンタナロー・タイガースに移籍。

2014年もキンタナロー・タイガースでプレー。

2015年も当初はタイガースでプレーしていたが、6月2日にトレードでタバスコ・オルメカスに移籍。オフの12月14日にトレードでサルティーヨ・サラペメーカーズに移籍。

2016年7月13日に解雇となり、翌14日にメキシコシティ・レッドデビルズと契約。同年限りで現役を引退した。

現役引退後

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2022年より、メキシカンリーグのグアダラハラ・マリアッチスの打撃コーチに就任した[1]

2022年からは、メキシカンリーグのレオン・ブラボーズの監督に就任[2]

選手としての特徴

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世界記録の2試合連続1試合3本塁打を記録した強肩強打の外野手。もともとは200m走の選手だったため走塁も積極的で優れている。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1995 LAD 13 20 20 1 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .200 .200 .200 .400
1996 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1997 15 46 39 5 5 0 0 1 8 8 0 0 0 1 6 1 0 14 0 .128 .239 .205 .444
1998 ARI 113 354 333 39 74 10 8 9 127 43 5 4 0 3 18 1 0 78 6 .222 .260 .381 .641
1999 DET 96 309 288 38 69 10 3 14 127 32 2 4 0 1 20 1 0 67 2 .240 .288 .441 .729
2000 8 17 17 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 4 1 .176 .176 .176 .353
BAL 8 16 16 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6 0 .000 .000 .000 .000
'00計 16 33 33 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 10 1 .091 .091 .091 .182
2001 CLE 20 50 45 8 14 3 0 5 32 9 0 0 0 1 3 0 1 13 1 .311 .360 .711 1.071
2002 NYY 2 5 5 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .200 .200 .200 .400
CLE 51 205 197 29 59 8 0 16 115 52 0 3 0 2 6 0 0 40 6 .299 .317 .584 .901
'02計 53 210 202 30 60 8 0 16 116 52 0 3 0 2 6 0 0 41 6 .297 .314 .574 .889
2003 24 101 93 8 18 1 0 5 34 14 0 0 0 2 5 1 1 20 4 .194 .238 .366 .603
NYY 52 161 151 17 46 5 0 6 69 21 0 2 0 1 9 1 0 32 4 .305 .342 .457 .799
'03計 76 262 244 25 64 6 0 11 103 35 0 2 0 3 14 2 1 52 8 .262 .302 .422 .724
2004 NYM 62 202 192 24 45 7 2 7 77 22 0 0 0 0 10 0 0 35 6 .234 .272 .401 .673
BAL 23 73 66 9 14 0 0 3 23 11 0 0 0 3 4 1 0 15 1 .212 .247 .348 .595
'04計 85 275 258 33 59 7 2 10 100 33 0 0 0 3 14 1 0 50 7 .229 .265 .388 .653
2005 オリックス 100 390 362 63 111 14 2 21 192 60 3 0 0 3 25 2 0 74 3 .307 .349 .530 .879
2006 91 325 301 33 75 10 0 13 124 37 0 4 0 1 22 4 1 77 12 .249 .302 .412 .713
2008 ロッテ(KBO) 125 513 460 68 130 25 2 30 249 111 2 1 0 2 48 6 3 100 10 .283 .353 .541 .894
2009 130 539 467 72 124 29 1 29 242 84 4 3 0 5 62 4 5 124 11 .266 .354 .518 .873
2010 118 485 429 73 108 16 1 26 204 83 3 0 0 5 49 4 5 123 4 .252 .328 .476 .803
2011 ハンファ 72 292 268 37 66 12 0 18 132 61 1 5 0 0 24 1 0 55 5 .246 .308 .493 .801
MLB:10年 488 1560 1463 180 352 44 13 66 620 212 7 13 0 14 81 6 2 330 31 .241 .279 .424 .703
NPB:2年 191 715 663 96 186 24 2 34 316 97 3 4 0 4 47 6 1 151 15 .281 .327 .477 .804
KBO:4年 445 1829 1624 250 428 82 4 103 827 339 10 9 0 12 183 15 13 402 30 .264 .341 .509 .850
  • 2018年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

[編集]

外野












2005 83 159 8 2 2 .988
2006 63 109 3 1 1 .991
NPB 146 268 11 3 3 .989

表彰

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NPB
KBO

背番号

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  • 12 (1995年 - 1997年)
  • 24 (1998年 - 2000年途中)
  • 57 (2000年途中 - 同年終了、2002年 - 同年途中)
  • 50 (2001年)
  • 20 (2002年途中 - 2003年途中、2004年 - 同年途中)
  • 28 (2003年途中 - 同年終了、2005年 - 2006年)
  • 47 (2004年途中 - 同年終了)
  • 95 (2008年 - 2011年)

代表歴

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脚注

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  1. ^ LMB: Mariachis presenta cuerpo técnico; Karim García dirigirá el bateo”. Editorial Séptima entrada (2022年2月21日). 2022年4月26日閲覧。(スペイン語)
  2. ^ Por 'Bambino' Sedano (2022年6月10日). “LMB: Karim García es nuevo manager de Bravos de León”. Cero Cero. 2022年6月18日閲覧。(スペイン語)

関連項目

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外部リンク

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