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カリブ史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1700年から現在に至るまでの、中米・カリブ海地域の国境・勢力図の変化
2008年現在のカリブ海地域、国別色分け地図

カリブ史(カリブし)はカリブ海域西インド諸島とその周辺の関係の歴史を指す。

概要

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アメリカ大陸部同様に先住民としてインディオが居住し、その歴史を有しているはずだが、大航海時代以降ヨーロッパ各国が植民地化して以降、ヨーロッパからの植民者や奴隷貿易によって移入された多くの黒人に圧倒され、外部からもたらされた伝染病により地域のインディオはほぼ絶滅しており、植民地時代以前の歴史はヨーロッパ人による記録と考古学的痕跡だけとなっている。

ヨーロッパ各国が侵入してくる前の大アンティル諸島の社会は、文化的共通性を持っており、そこで最も一般的だった政治社会の形態は、首長制だった。それは首長[注釈 1]、貴族、平民である農民、戦争の捕虜などの奴隷の比較的簡単な成層社会であったが、国家社会ではなかった。スペイン侵入当時、エスパニュラ島には6、プエルト・リコには18の首長社会があった。首長の領域は分けられ、下位首長に委ねられ、その下に村の長がいた[1]
シボネー(グァナハタベイ)と呼ばれる漁労採集民が住んでいたキューバ島やエスパニョラ島の西端部を除く地域は、アラワク人がコヌコ[注釈 2]という農法で主食のヤムイモ、ユカなどの根菜類をつくっていたほか、マメ、トウモロコシ、カボチャ、タバコなどを栽培していた[1]

小アンティル諸島には、カリブと呼ばれる民族が住んでいた。彼らは、南アメリカの熱帯林からの移住者だった。ここでは狩猟や漁労は男子が、コヌコでの耕作は女子がおこなった。上手にカヌーを造り、アラワク社会をしばしば襲撃した。彼らは食人種であるといわれてきたが、そうではなく宗教儀式の一部として行われたに過ぎなかった。この儀礼食人はアステカ社会にもあった[1]

年表

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先コロンブス期

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グアダルーペ島で発見された、アラワク族による石碑
コロンブスが西インド諸島、サン・サルバドル島に到達。新大陸「発見
コロンブス、フアナ島(のちにキューバ島と改名)とイスパニョーラ島に到達。アンギラ島を発見。
八十年戦争終結。
イギリスがバハマ諸島に植民。

1844年 ドミニカ共和国が一時的に独立を宣言

ヨーロッパ諸国によるカリブ植民地史

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各国史

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非独立地域の歴史

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以下の独立国ではない地域の歴史はそれぞれの歴史節を参照。

(イギリス領の西インド諸島全部を合わせて英領西インド諸島ともいう。)
(関連として南アメリカ大陸の仏領ギアナも参照。)

脚注

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注釈

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  1. ^ カシーケと呼ばれ、セミという石造の呪物を持ち、宗教的な権威者として平民を治めた。
  2. ^ アンティル諸島のアラワク、カリブなどの原住民が農耕を行った特殊な畑。

出典

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  1. ^ a b c 増田義郎「先コロンブス期の文化」51~53ページ(増田義郎・山田睦男編『新版世界各国史25 ラテン・アメリカ史Ⅰ メキシコ・中央アメリカ・カリブ海』山川出版 1999年)
  2. ^ Sweeney, James L. (2007). "Caribs, Maroons, Jacobins, Brigands, and Sugar Barons: The Last Stand of the Black Caribs on St. Vincent" Archived 2012-02-27 at the Wayback Machine., African Diaspora Archaeology Network, University of Illinois, Urbana-Champaign, March 2007, retrieved 26 April 2007

関連項目

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