カナンデーグア条約
表示
カナンデーグア条約(英:Treaty of Canandaigua)とは、アメリカ独立戦争後、ジョージ・ワシントン大統領とイロコイ同盟(イロコイ連邦)の間で締結された条約である。
この条約は、1794年11月11日、ニューヨーク州のカナンデーグア市において、イロコイ同盟(カユガ族、モホーク族、オナイダ族、オノンダガ族、セネカ族、タスカローラ族)の代表である50人の酋長と戦争指揮官と、ワシントン大統領の正式代理人ティモシー・ピカリングによって締結された。
条約の内容
[編集]この条約は、アメリカ合衆国とイロコイ同盟との間に平和と友情を築くこと、ニューヨーク州においてイロコイ諸族の居住地を認めること、そして、1788年のフェルプスとゴーハムの購入による境界線を認めることをその内容としている。[1]
これは現行のアメリカ合衆国憲法の治下における、史上二番目の外交的協定であった。(史上初は1790年に、クリーク族と結ばれたニューヨーク条約)
「ピカリング条約 the Pickering Treaty」[2] とも「更紗条約 the Calico Treaty」 [2] とも呼ばれる同条約は、現在も有効である。ただし、アレゲーニー保留地の 10,000 エーカーに及ぶ土地はダム建設のために法に基づき土地収用され、これによって600人のセネカ族が転居を余儀なくされた。
ニューヨーク州のイロコイ連邦は、現在においても、この条約に基づく報酬として更紗の布を受け取っており[3]、またウィスコンシン州のオナイダ族は同様に、1,800ドルの年金小切手を受けとっている。[2][3]
脚注
[編集]- ^ “Treaty of Canandaigua”. Cayuga Nation ("People of the Great Swamp"). 2009年8月17日閲覧。
- ^ a b c Houghton, Gillian. The Oneida of Wisconsin. The Rosen Publishing Group. pp. 25–26. ISBN 0-8239-6432-9 17 August 2009閲覧。
- ^ a b “Calico payments to Indians are less this year”. The Evening Independent. (8 November 1941) 2009年8月17日閲覧。
参考文献
[編集]- Laurence M. Hauptman, Conspiracy of Interests: Iroquois Dispossession and the Rise of New York State (2001).
- Jemison, G. Peter (ed.), Schein, Anna M. (ed.) and Powless Jr., Irving (ed.). Treaty of Canandaigua 1794: 200 Years of Treaty Relations Between the Iroquois Confederacy and the United States. Clear Light Publishing, 2000. ISBN 1-57416-052-4
外部リンク
[編集]- Cannadaigua Treaty Text
- 1794 Canandaigua Treaty Commemoration Committee - 閉鎖。(2008年7月19日時点のアーカイブ)
- The Canandaigua Treaty of 1794: Events Leading up to the Treaty by Robert G. Koch