カストリージョ・モタ・デ・フディオス
2010年撮影 | |
州 | カスティーリャ・イ・レオン州 |
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県 | ブルゴス県 |
コマルカ | Odra-Pisuerga |
面積 | 22.05 km² [1] |
標高 | 791m |
設立 | 1035年 |
人口 | 51 人 (2023年)[1] |
人口密度 | 2.31 人/km² |
北緯42度18分37秒 西経4度10分25秒 / 北緯42.31028度 西経4.17361度座標: 北緯42度18分37秒 西経4度10分25秒 / 北緯42.31028度 西経4.17361度
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カストリージョ・モタ・デ・フディオス(スペイン語: Castrillo Mota de Judíos)は、スペイン・カスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県のムニシピオ(基礎自治体)。人口は51人(2023年[1])。Odra川近くの平野部に位置し、県都ブルゴスからは西に51キロメートル、パレンシアからは北東に54キロメートルの距離にある。
地名の意味は「ユダヤ人の丘」。2015年までの旧称はカストリージョ・マタフディオス(Castrillo Matajudíos)で、「ユダヤ人殺し」あるいは「ユダヤ人殺害所」を意味する[2][3]。
歴史
[編集]村は近くのポグロムから逃げてきたユダヤ人によって1035年につくられた。当時は「ユダヤ人の丘」を意味するカストリージョ・モタフディオス(Castrillo Motajudíos)と呼ばれていた。スペインで非キリスト教徒に対する迫害が行われていた1627年に「ユダヤ人殺し」を意味するカストリージョ・マタフディオス(Castrillo Matajudíos)へ改称した。なおユダヤ人は1492年のスペイン異端審問で追放令が出されていた[2][3]。
2014年5月25日、村名変更の是非を問う住民投票が行われ、賛成29反対19で変更が決定された[2][3]。2015年6月22日 、村名は元の名称に近いカストリージョ・モタ・デ・フディオスに変更された[4]。
村名変更以降、反ユダヤ主義者によって旧称やネオナチのシンボルが落書きされる事件が発生している[5]。
出身人物
[編集]姉妹都市
[編集]関連項目
[編集]- La Mort aux Juifs - かつてフランスに存在した集落。意味は「ユダヤ人に死を」。
- 反ユダヤ主義
出典
[編集]- ^ a b c “CASTRILLO MOTA DE JUDÍOS in Burgos (Castilla y León)”. Citypopulation (2024年1月3日). 2024年4月20日閲覧。
- ^ a b c “「ユダヤ人殺し」という名のスペイン小村、住民投票で改名決定”. ロイター通信 (2014年5月26日). 2024年4月21日閲覧。
- ^ a b c “Spanish village drops 'kill Jews' name”. ガーディアン. (22 June 2015) 2024年4月21日閲覧。
- ^ “Castrillo Matajudíos es oficialmente desde hoy Castrillo Mota de Judíos”. エル・ムンド (2015年6月22日). 2024年4月21日閲覧。
- ^ Jones, Sam (4 August 2022). “Antisemites again target Spanish village that dropped 'Kill Jews' name”. The Guardian 2024年4月21日閲覧。
- ^ “Celebration of the fifth centenary of the birth of Antonio de Cabezón” (スペイン語). Castrillo Mota de Judíos (30 March 2010). 23 August 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月21日閲覧。