カステルノー=ド=レヴィ
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Castelnau-de-Lévis | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オクシタニー地域圏 |
県 (département) | タルヌ県 |
郡 (arrondissement) | アルビ郡 |
小郡 (canton) | アルビ3小郡 |
INSEEコード | 81063 |
郵便番号 | 81150 |
市長(任期) |
ロベール・ゴティエ[1] (2014年-2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération de l'Albigeois |
人口動態 | |
人口 |
1562人 (2014年) |
人口密度 | 73人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯43度56分15秒 東経2度05分01秒 / 北緯43.9375度 東経2.08361111111度座標: 北緯43度56分15秒 東経2度05分01秒 / 北緯43.9375度 東経2.08361111111度 |
標高 |
平均:143m 最低:133 m 最高:280m |
面積 | 21.42km2 |
公式サイト | Site officiel de la commune |
カステルノー=ド=レヴィ (Castelnau-de-Lévis)は、フランス、オクシタニー地域圏、タルヌ県のコミューン。
地理
[編集]アルビの西に位置し、アルビ都市圏に含まれている。
歴史
[編集]カステルノー=ド=レヴィは古い名をカステルノー=ド=ボナフー(Castelnau-de-Bonnafous)という、1234年にシカール・アラマンによって建設されたバスティッドである。アラマンはトゥールーズ伯レーモン7世とジャンヌ・ド・トゥールーズの二代にわたって仕えた騎士である。
1480年、カステルノーはオビジュー男爵ユーグ・ダンボワーズの所有となった。この支配権は17世紀までアンボワーズ家が保持した。ユーグの孫ルイは、オビジュー伯およびカステルノー=ド=ボナフー男爵となり、常に城に暮らそうと、非常に特徴のある、40mの高さの塔を建設して城を修復した。
城の武器庫は、オビジュー伯や王の肖像画を含め、彼の肖像画で飾られていた。
人口統計
[編集]1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2014年 |
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571 | 686 | 946 | 1145 | 1308 | 1403 | 1520 | 1562 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]。
史跡
[編集]- カステルノー=ド=レヴィ城 - 1235年にシカール・アラマンが建設。タルヌ川南側を占めるフランス王領と対峙する、タルヌ川北側のトゥールーズ伯領の砦であった。ボナフー山という岩山の頂上に建てたため、カステルヌー=ド=ボナフー城の名で呼ばれるようになった。レヴィとは、その後城を所有した一族の名である。村は同時代に、城壁のふもとに建設された。古い城で残っているのは、タルヌ川谷とアルビ市街を見下ろす望楼を含む、一部の城跡のみである。
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カステルノー=ド=レヴィ城
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サン・バルテルミ教会