カイル・アボット
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | マサチューセッツ州ニューバリーポート[1] |
生年月日 | 1968年2月18日(56歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 200 lb =約90.7 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1989年 MLBドラフト1巡目 |
初出場 |
MLB / 1991年9月10日 NPB / 1994年4月20日 |
最終出場 |
MLB / 1996年8月24日 NPB / 1994年8月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ローレンス・カイル・アボット(Lawrence Kyle Abbott, 1968年2月18日 - )は、メジャーリーグベースボールの左投左打の投手。アメリカ合衆国のマサチューセッツ州出身。
来歴・人物
[編集]カリフォルニア大学サンディエゴ校、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校を経て、1989年にカリフォルニア・エンゼルスにドラフト1巡目(全米9番目)で入団[1]。エンゼルスは前年のジム・アボットから2年連続でアボット姓の左投手をドラフト1巡目で指名したことになる。特別目を見張る数字を残したわけではなかったがマイナーの出世街道をとんとん拍子で進み、プロ入り3年目の1991年、9月10日のテキサス・レンジャーズ戦で先発投手として登板し、メジャーデビューを果たした。
同年オフにボン・ヘイズとのトレードでルーベン・アマロ・ジュニアとともにフィラデルフィア・フィリーズへ移籍。迎えた1992年、アボットはフィリーズでも先発を務めていたが、5月18日の登板で敗戦投手になり、開幕から1勝も出来ずに7連敗となった。そこで一旦マイナーへと降格。マイナーでは5試合で35.0回を投げ、防御率1.54という好投を見せたため、6月21日の試合でメジャー復帰を果たした。しかし復帰後の4試合で4敗を喫し、遂に開幕11連敗。11連敗した時点での防御率も5.40と、決して誉められるものではなかった。その後は7月18日にようやくシーズン1勝目を手にしたが、8月序盤に2連敗を喫し、8月中旬からはリリーフを務めるようになった。しかしリリーフで登板した12試合でも防御率8.82、被打率.324と散々で、シーズンでは1勝14敗という数字に終わった。
前年の結果を受けて、1993年はマイナーから出直す年となった。この年は1年を通してマイナーでプレーし、12勝を記録するも、オフにはフィリーズを解雇され、翌1994年は日本の近鉄バファローズでプレーすることになった。だがバファローズでは脚の故障もあって4試合の出場にとどまり、シーズンオフには再びフィリーズに入団した[1]。
出戻りの年となった1995年はリリーフばかりで18試合に登板。シーズン最初の登板で白星を手にするなど、14試合に登板した時点では防御率2.84となかなかの投球を見せていたが、その後4試合で防御率12.00と打ち込まれ、終わってみれば特別目立った数字を残すことは出来なかった。
シーズン終了後にフリーエージェントとなり、1996年5月29日にようやく古巣のエンゼルスと契約。しかし8月の3試合に登板して9失点しただけというシーズンに終わってしまった。この年限りで現役を引退。ドラフト1巡目選手ではあったが、第二のジム・アボットとはいかず、目立った実績を残せないままの引退となった。
ちなみに、1996年にアボットが付けていた背番号は、後に松井秀喜が背負うことになる55番だった。
主にカーブ、決め球はチェンジアップを武器とした。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1991 | CAL | 5 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | - | .333 | 90 | 19.2 | 22 | 2 | 13 | 0 | 1 | 12 | 1 | 1 | 11 | 10 | 4.58 | 1.78 |
1992 | PHI | 31 | 19 | 0 | 0 | 0 | 1 | 14 | 0 | - | .067 | 577 | 133.1 | 147 | 20 | 45 | 0 | 1 | 88 | 9 | 1 | 80 | 76 | 5.13 | 1.44 |
1994 | 近鉄 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 65 | 11.2 | 25 | 0 | 9 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 11 | 10 | 7.71 | 2.91 |
1995 | PHI | 18 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | - | 1.000 | 122 | 28.1 | 28 | 3 | 16 | 0 | 0 | 21 | 2 | 1 | 12 | 12 | 3.81 | 1.55 |
1996 | CAL | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | .000 | 26 | 4.0 | 10 | 1 | 5 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 9 | 9 | 20.25 | 3.75 |
MLB:4年 | 57 | 22 | 0 | 0 | 0 | 4 | 17 | 0 | 0 | .190 | 815 | 185.1 | 207 | 26 | 79 | 0 | 2 | 124 | 13 | 3 | 112 | 107 | 5.20 | 1.54 | |
NPB:1年 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 65 | 11.2 | 25 | 0 | 9 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 11 | 10 | 7.71 | 2.91 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
球 団 |
投手(P) | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
1991 | CAL | 5 | 0 | 5 | 0 | 0 | 1.000 |
1992 | PHI | 31 | 3 | 15 | 0 | 0 | 1.000 |
1994 | 近鉄 | 4 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
1995 | PHI | 18 | 3 | 4 | 1 | 0 | .875 |
1996 | CAL | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 |
MLB | 57 | 6 | 25 | 1 | 0 | .969 |
記録
[編集]- NPB
- 初登板・初先発:1994年5月4日、対オリックスブルーウェーブ4回戦(グリーンスタジアム神戸)、1回1/3、2失点
- 初奪三振:同上
背番号
[編集]- 44 (1991年)
- 59 (1991年)
- 47 (1992年)
- 30 (1994年)
- 39 (1995年)
- 55 (1996年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 カイル・アボット - NPB.jp 日本野球機構