コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

オートザム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オート・ザムから転送)
マツダ > オートザム
オートザム
Autozam
ロゴ
店舗サイン例
店舗サイン例
種類 自動車ディーラー
所持会社 マツダ株式会社
使用会社 マツダ株式会社
使用開始国 日本の旗 日本
主要使用国 日本の旗 日本
使用開始 1989年
使用終了 2016年
関連ブランド
テンプレートを表示

オートザム(Autozam)は、マツダディーラーの一つ。1989年平成元年)のマツダ5チャンネル体制(マツダ、ユーノスアンフィニ、オートザム、オートラマ)化に伴い、軽自動車小型車を取り扱うブランドとして開設された。

1998年より、マツダオートザム(Mazda Autozam)の名称に変更された(詳細は後述)。

オートザムの名前は、「オートモービル」(AUTOMOBILE)とマツダ(MAZDA)のスペルを逆から読んだ「ADZAM(アドザム)」を合わせた造語である。

概要

[編集]

「あなたの街の身近なカーショップ」をディーラーコンセプトに掲げ、中小規模の整備工場や中古車販売店を中心に販売網を整備したことが特徴の一つである。正規ディーラー契約の店舗のほかに、「協力店」と称したサブディーラー店舗も存在していた。地域によっては、ユーノスやオートラマ、他ブランドとの複合店舗も存在した[1][2][3]

ブランド戦略ではユーノスやアンフィニと同様にマツダの名を伏せて展開した。ただし、車検証の車名欄には「オートザム」ではなく「マツダ」と記載された。

設立時のラインナップは軽自動車が中心で、フラグシップクロノスの系譜のセダンであるクレフ

また、高級車ラインナップを補う目的でランチアの正規輸入権を取得し[4]ランチア・テーマランチア・デルタアウトビアンキ・Y10といったイタリア・フィアットオートが製造するランチアアウトビアンキブランドの乗用車も販売されていた[5]

全国販売網は「株式会社オートザム」および地区卸会社(株式会社オートザム○○)が統括していた。一部の大都市圏では、地区卸会社が直営店舗「オートザムソシオ」店を運営していた。ランチア車専売を志向した高級店舗で、既存店の販促支援およびショールームの側面も持っていた[6][7]

「マツダオートザム店」への順次移行

[編集]

2代目キャロル以外にヒットした車種は出なかったが、5チャンネル体制崩壊後も存続していた。その間にもディーラー権を返上して撤退する店舗が続出していた。

1998年、全国オートザム店の店舗規模・売り上げ等に一定の基準が設けられ、基準をクリアした店舗の看板は「マツダオートザム」と掲げられることとなった。「マツダオートザム店」に変更した店舗はファミリアボンゴプレマシーの販売権を与えられ、取り扱い車種はマツダ店と同一化が図られる。また、チャンネル発足時の主力販売車両であった軽自動車は、独自開発車両の開発は止めてスズキからのOEM車となる。

チャンネル再編期では、マツダオートザム店に移行できなかったオートザム店は、看板はそのままで取り扱い車種も軽自動車とデミオだけだったが、新機種としてAZ-オフロードラピュタがマツダオートザム店と併売されていた。この2車以降「オートザム店」への新機種投入は無くなり、以降の新機種を取り扱うためにはマツダオートザム店に移行しなければならなくなった。基準未達成の店舗は新機種の販売権を与えられないままディーラー権を返上していき、結果2000年代前半までに、約900店舗あったオートザム店は350店のマツダオートザム店へと変わった[8]。また、ランチアの正規輸入権も1998年までに返上した。2001年には株式会社オートザムと地区卸会社が合併して「株式会社マツダオートザム」となり、全国1社で販売網を統括する体制になった。

その後は、2003年にアクセラ、2004年3月にMPVトリビュートボンゴフレンディの取り扱いを開始。マツダの他のチャンネル(マツダ店・マツダアンフィニ店)でも、オートザムの専売車種だったキャロルスピアーノAZ-ワゴンスクラムを取り扱う様になり、他の販売チャンネルとの差別化は無くなっていった。

2016年4月より、これまで販売されなかったマツダ車の最上位車種であるアテンザロードスターファミリアバンタイタンの取り扱いを開始[9]。これにより、マツダオートザム店の名称は残るものの国内販売チャネルの事実上の一本化となった。それに伴い「株式会社マツダオートザム」は業務を停止し、全国販売網の統括・管理をマツダ本体および各地域のマツダアンフィニ店・マツダ店が行うこととなった[10]

2014年以降、マツダ店・マツダアンフィニ店と同様の「新世代店舗」へのリニューアルが進んでいる。

専売時代の取り扱い車種

[編集]

オートザム取り扱い車種の車名には、オートザムを意味する『AZ』の付いた車種名が多かったが、ブランド戦略でマツダ色を隠す目的があった。カタログや各種宣伝では、ラインナップを「Autozam's Collection」と称していた。

オートザム時代(1989年 - 1998年)の専売車種
外観 車種名 車格 販売期間 備考

CAROL
キャロル 軽乗用車 1989年 - 1998年 初代モデル販売終了より20年ぶりのモデル復活
2代目と3代目モデルが自社製造ボディ・スズキ製エンジンで製造
3代目末期にマツダブランドに変更され、2022年現在販売中
4台目以降はスズキアルトバッジエンジニアリングOEM)車となる

SCRUM
スクラム 軽ワゴン
軽バン
軽トラック
1990年 - 1997年 1990年にマツダブランドからオートザムブランドの変更
スズキエブリイキャリイのバッジエンジニアリング(OEM)車
初代と2代目モデルがオートザムブランドで販売
2代目途中の1997年4月以降マツダブランドで2024年現在販売中

Revue
レビュー 小型乗用車 1989年 - 1998年 フォード・フェスティバの車台をベースに開発
レビューの車台はデミオにも活用
晩年にマツダブランド変更後、モデル廃止

AZ-3
AZ-3 小型クーペ 1991年 - 1998年 ユーノス・プレッソと姉妹車
販売当初AZ-3は直4エンジン、プレッソはV6エンジンのみの販売で差別化された
1998年にモデル廃止

AZ-1
AZ-1 軽スポーツ車 1992年 - 1995年 自社製造ボディ・スズキ製エンジンで製造
スズキにキャラとしてOEM供給される
1995年にモデル廃止

Clef
クレフ 普通乗用車 1992年 - 1994年 クロノスなどとの姉妹車
1995年にモデル廃止

AZ-Wagon
AZ-ワゴン 軽トールワゴン 1994年 - 1998年 スズキワゴンRのバッジエンジニアリング(OEM)車
初代途中の1998年10月以降マツダブランドで2012年11月まで販売

DEMIO
デミオ 小型ステーションワゴン 1996年 - マツダの経営不振の時に各チャンネルで販売
マツダブランド
ランチア・テーマ セダン
ステーションワゴン
1984年 - 1994年
ランチア・デドラ セダン
ステーションワゴン
1989年 - 1999年
ランチア・デルタ 普通乗用車 1979年 - 1995年
ランチア・プリズマ セダン 1982年 - 1989年
アウトビアンキ・Y10 小型乗用車 1985年 - 1994年
マツダオートザム移行後(1998年 - 2016年)の専売車種
外観 車種名 車格 販売期間 備考

AZ-OFFROAD
AZ-オフロード 軽SUV 1998年 - 2014年 スズキジムニー(3代目)のバッジエンジニアリング(OEM車)

Laputa
ラピュタ 軽クロスオーバーSUV 1999年 - 2006年 スズキKeiのバッジエンジニアリング(OEM車)

脚注

[編集]
  1. ^ 「オートレックインクス シトロエンとオートザムの複合拠点開設」『日刊自動車新聞』1990年4月18日。
  2. ^ 「オートラマ大分・オートザム大分 全国最大級ショールームオープン」『日刊自動車新聞』1990年10月13日。
  3. ^ 「カゴメ オートザムに参画」『日刊自動車新聞』1994年4月5日。
  4. ^ 輸入権はマツダが所有した。また同時期にガレーヂ伊太利屋も独自の販売網で輸入・販売していた。
  5. ^ 山本晋也 (2022年2月27日). “鉄道のJRがボルボ! マツダがシトロエン! スズキがプジョー! ちょっと前までカオス状態だった日本の輸入車販売網”. WEB CARTOP. 交通タイムス社. 2022年2月27日閲覧。
  6. ^ 「オートザム ランチア専売網構築へ」『日刊自動車新聞』1994年4月18日。
  7. ^ 「オートザムのマツダ直営店オープン」『日刊自動車新聞』1990年3月14日。
  8. ^ オートザムのディーラー権は返上したものの、地域のマツダ店の販売代理店として引き続きマツダ車を扱う店舗もある。
  9. ^ マツダ、全店で全車種取り扱い 販路を1系列に集約”. 日本経済新聞 (2016年2月26日). 2016年2月29日閲覧。
  10. ^ 『日刊自動車新聞』2016年2月26日。

外部リンク

[編集]
  • ウィキメディア・コモンズには、オートザムに関するカテゴリがあります。