コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

オーガスタス・スペンサー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オーガスタス・スペンサー
Augustus Spencer
チャールズ・ウィリアム・ウォルトンによるリトグラフ
生誕 1807年3月25日
イギリスの旗 イギリスイングランドオックスフォードシャーウッドストック英語版ブレナム宮殿
死没 1893年8月28日 (86歳)
イギリスの旗 イギリスイングランドロンドン
所属組織 イギリス陸軍
軍歴 1825年 - 1875年
最終階級 陸軍大将
墓所 ロンドン、ブロンプトン墓地[1]
テンプレートを表示

サー・オーガスタス・アルメリック・スペンサー閣下英語: The Hon. Sir Augustus Almeric Spencer, GCB[2] 1807年3月25日 - 1893年8月28日)は、イギリス軍人。最終階級は陸軍大将(General)。名門貴族・スペンサー家の一員。

略歴

[編集]

フランシス・スペンサー卿と、その妻フランセスの間に三男として生まれる。父フランシス卿は第4代マールバラ公爵ジョージ・スペンサーの次男であり、1815年に初代チャーチル男爵に叙された。母フランセスは首相を務めた第3代グラフトン公爵オーガスタス・フィッツロイの五女である。

1825年4月8日、第43(モンマスシャー)歩兵連隊(軽歩兵)英語版に入隊し、陸軍少尉に任官される。その後中尉(1827年7月5日)、大尉(1831年4月6日)、少佐(1843年7月21日)と順調に進級[3][4]クリミア戦争に参加し、アルマの戦い英語版インカーマンの戦い英語版セヴァストーポリ包囲戦で連隊を指揮した[3][4]。1856年、アルダーショット駐屯の1個旅団の旅団長となる。1860年2月13日、少将に昇進する。同年インド帝国に赴任し、マドラス軍英語版隷下の師団指揮官に着任。1866年に本国に戻り、西部軍管区英語版司令官に就任した[4]。1868年5月9日に中将となり、翌年に再びインドでボンベイ軍英語版司令官に任じられた。

1875年9月14日、陸軍大将となった[5]。同年退役[4]

勲章

[編集]

家族

[編集]

1836年、第一次英緬戦争で活躍した陸軍軍人である初代準男爵サー・アーチボルド・キャンベル英語版の次女、ヘレン・マリア嬢と結婚[8][9]。一男五女をもうける[10]。ひ孫の一人が、ジョージ6世エリザベス2世の聖職者を務めたヘンリー・スペンサー・スティーブンソン英語版である[11]

脚注

[編集]
  1. ^ “Funeral of Augustus Almeric Spencer”. The Times Newspaper, London, UK: p. 3. (5 September 1893) 
  2. ^ "No. 24213". The London Gazette (英語). 29 May 1875. p. 2851.
  3. ^ a b Hart, H. G. (1880). The New Army List Militia List and Indian Civil Service List. John Murray. https://books.google.com/books?id=UP8NAAAAQAAJ&pg=PA187&dq=%22Sir+Augustus+Almeric+Spencer%22&hl=en&sa=X&ei=ngDsUu_YCIPeoASE_IGwBA&ved=0CDAQ6AEwAQ#v=onepage&q=%22Sir%20Augustus%20Almeric%20Spencer%22&f=false 12 June 2016閲覧。 
  4. ^ a b c d Augustus Spencer”. Oxford Dictionary of National Biography. 12 June 2016閲覧。
  5. ^ {{London Gazette}}を使用する場合、|issue=|date=は必須です。
  6. ^ "No. 6620". The London Gazette (英語). 5 August 1856. p. 684.
  7. ^ "No. 6785". The London Gazette (英語). 5 March 1858. p. 486.
  8. ^ Lodge, Edmund (1849). The Peerage of the British Empire as at present existing. Saunders and Otley, London, England. https://books.google.com/books?id=GvNBAAAAcAAJ&pg=PA122&dq=helen+campbell+spencer+churchill&hl=en&sa=X&ei=HPPrUujoA8rtoASB-4KIBg&ved=0CDwQ6AEwBDge#v=onepage&q=helen%20campbell%20spencer%20churchill&f=false 31 January 2014閲覧。 
  9. ^ Debrett's Peerage, Baronetage, Knightage, and Companionage. Dean & Son Limited, Great Britain. (1902). p. 182. https://books.google.com/books?id=cLc7AQAAMAAJ&pg=PA182&dq=%22Augustus+Almeric%22+spencer+churchill+campbell&hl=en&sa=X&ei=ZfjrUsT_FpKEoQTFmYDoAw&ved=0CCkQ6AEwAA#v=onepage&q&f=false 31 January 2014閲覧。 
  10. ^ Fox-Davies, Arthur Charles (1895). Armorial Families: A Complete Peerage, Baronetage, and Knightage, and a Directory of Some Gentlemen of Coat-armour, and Being the First Attempt to Show which Arms in Use at the Moment are Borne by Legal Authority, Part 1. Jack, Great Britain. p. 919. https://books.google.com/books?id=KDw6AQAAMAAJ&pg=PA919&dq=%22augustus+almeric+spencer%22&hl=en&sa=X&ei=LaLUUuTnJ9L1oASXm4CABw&ved=0CC8Q6AEwAA#v=onepage&q=%22augustus%20almeric%20spencer%22&f=false 14 January 2014閲覧. "Under Dame Helen Maria Spencer, Widow of Augustus Almeric Spencer" 
  11. ^ Walford, Edward (1893). The Windsor Peerage for 1890-1894. Chatto & Windus, Piccadilly, London, England. p. 118. https://books.google.com/books?id=ick-AAAAYAAJ&pg=PA118&dq=%22augusta+melita%22+spencer&hl=en&sa=X&ei=HU2TU-6mNca0yATJk4CgAQ&ved=0CCwQ6AEwAQ#v=onepage&q=%22augusta%20melita%22%20spencer&f=false 7 June 2014閲覧. "See entry for Churchill, 3rd Baron" 

外部リンク

[編集]
軍職
先代
第3代テンプルタウン子爵英語版
西部軍管区英語版司令官
1866年–1869年
次代
サー・チャールズ・ステーブリー英語版
先代
サー・ロバート・ネイピア英語版
ボンベイ軍英語版司令官
1869年–1874年
次代
サー・チャールズ・ステーブリー英語版
先代
ロバート・ギャレット英語版
第43歩兵連隊英語版連隊長
1869年–1881年
次代
連隊廃止
連隊はオックスフォードシャー・バッキンガムシャー軽歩兵連隊英語版となる
先代
サー・チャールズ・ウォレン
第96歩兵連隊英語版連隊長
1866年–1869年
次代
ジョージ・トマス・コノリー・ネイピア