オルドーニョ4世
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(オルドニョ4世から転送)
オルドーニョ4世 Ordoño IV | |
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レオン国王 | |
中世のミニアチュールに描かれたオルドーニョ4世 | |
在位 | 958年 - 960年 |
出生 |
925年頃 |
死去 |
962年または963年 後ウマイヤ朝、コルドバ |
埋葬 | レオン王国、サン・イシドロ・デ・レオン聖堂 |
配偶者 | ウラカ・フェルナンデス |
子女 | ガルシア |
家名 | アストゥリアス家 |
王朝 | ペレス朝 |
父親 | アルフォンソ4世 |
母親 | オネカ・デ・パンプローナ |
オルドーニョ4世 (Ordoño IV de León、925年頃 - 962年または963年[1])は、レオン王(在位:958年 - 960年)。悪王(el Malo)と呼ばれた。
生涯
[編集]アルフォンソ4世と王妃オネカの子として生まれた。ラミロ2世の甥にあたる。オルドーニョ3世没後にサンチョ1世が即位し、激しい内戦が起きると、貴族らはサンチョ1世を追放しオルドーニョ4世を王位につけた。
非常に短い間だったため、その治世については知られていない。
959年にサンチョ1世がレオンに近づいている知らせを聞くと、彼はアストゥリアスへ逃亡した。961年以降はブルゴスに身を隠したが、さらに妻を置いて逃げなければならなかった。妻の父親フェルナン・ゴンサレスがサンチョ1世と同盟を結び、彼の庇護を受けられなくなったためだった。彼はついにメディナセーリの将軍ガーリブ(es)に降伏し、コルドバへ連行され962年か963年に死んだ[1]。後に彼の遺骨はレオン王国へ送られ、サン・イシドロ・デ・レオン聖堂の王室霊廟に埋葬された[2]。
子女
[編集]958年頃、カスティーリャ伯フェルナン・ゴンサレスの娘で、オルドーニョ3世の未亡人であるウラカ・フェルナンデスと結婚した。年代記を記したサンピロによれば、2人の間には2子が生まれ、そのうちの1人ガルシアは、父によって人質としてコルドバへ送られている。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Ceballos-Escalera, Alfonso. Reyes de León: Ordoño III (951-956), Sancho I(956-966), Ordoño IV (958-959), Ramiro III (966-985), Vermudo II (982-999). Burgos: La Olmeda, 2000, ISBN 84-89915-11-3.
- Elorza, Juan C.; Lourdes Vaquero, Belén Castillo, Marta Negro. El Panteón Real de las Huelgas de Burgos. Los enterramientos de los reyes de León y de Castilla (2ª edición). Editorial Evergráficas S.A.,Junta de Castilla y León. Consejería de Cultura y Bienestar Social, 1990, ISBN 84-241-9999-5.