オリンピック航空830便墜落事故
同型機のYS-11 | |
事故の概要 | |
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日付 | 1976年11月23日 |
概要 | CFIT |
現場 | ギリシャ 西マケドニア地方コザニ県セルビア |
乗客数 | 46 |
乗員数 | 4 |
負傷者数 | 0 |
死者数 | 50(全員) |
生存者数 | 0 |
機種 | YS-11A-500 |
機体名 | Isle of Milos |
運用者 | オリンピック航空 |
機体記号 | SX-BBR |
出発地 | エリニコン国際空港 |
経由地 | ラリサ・ナショナル空港 |
目的地 | コザニ・ナショナル空港 |
オリンピック航空830便墜落事故(オリンピックこうくう830びんついらくじこ)は、1976年11月23日に発生した航空事故である。エリニコン国際空港発コザニ・ナショナル空港行きだったオリンピック航空830便(YS-11A-500)がギリシャのセルビア近くの山に衝突し墜落。乗員乗客50人全員が死亡した[1]。この事故は当時、ギリシャで2番目に死者数の多い事故となった[2]。
事故機
[編集]事故機のYS-11A-500(SX-BBR)は、製造番号2156として製造され、1971年4月12日に初飛行を行っていた。4月28日にオリンピック航空に納入された[3][4]。
事故の経緯
[編集]830便は、エリニコン国際空港からコザニ・ナショナル空港へ向かう途中に、ラリサ・ナショナル空港を経由する予定だった。しかし、ラリサ空港付近の天候が悪化していたため、パイロットは高度5,500フィート (1,700 m)のままコザニ空港へ直行することに決めた。事故機の最後の交信は9時45分に行われ、コザニの南15海里地点を方位318度で飛行中との報告だった。10時19分、管制官は830便から応答がなかったため、緊急事態を宣言した。その後、830便がセルビア近くにある雲に覆われた標高4,265フィート (1,300 m)の山に墜落したことが確認された[1][5]。
事故調査
[編集]事故原因として降下するタイミングが早かったことが挙げられた。墜落時、830便は方位310度に向けて飛行していた。最初に山と接触した後、機体は再び浮揚したものの、200mに渡り破片を散乱させながら丘に激突した。墜落の衝撃で出火し、機体は全焼した。事故当時、標高3,000フィート (910 m)以上の山々も雲で覆われていた[1][6]。
脚注
[編集]- ^ a b c UK CAA Document CAA 429 World Airline Accident Summary p. 24/76
- ^ “Greece air safety profile”. Aviation Safety Network. 02 April 2020閲覧。
- ^ Roach/Eastwood 1990, p. 331
- ^ “Flyteam SX-BBR”. 30 April 2019閲覧。
- ^ “Accident description Olympic Airlines Flight 830”. 30 April 2019閲覧。
- ^ “CRASH OF A NAMC YS-11A-500 NEAR KOZANI: 50 KILLED”. 30 April 2019閲覧。