オマール・ニーニョ・ロメロ
基本情報 | |
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本名 | オマール・ニーニョ・ロメロ |
通称 | The Giant Killer |
階級 | フライ級 |
国籍 | メキシコ |
誕生日 | 1976年5月12日(48歳) |
出身地 | ハリスコ州グアダラハラ |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 39 |
勝ち | 31 |
KO勝ち | 13 |
敗け | 5 |
引き分け | 2 |
無効試合 | 1 |
オマール・ニーニョ・ロメロ(Omar Niño Romero、1976年5月12日 - )は、メキシコの男性プロボクサー。ハリスコ州グアダラハラ出身。元WBC世界ライトフライ級王者。「The Giant Killer 」の異名を持つ。
来歴
[編集]1995年5月13日に19歳でプロデビュー。2001年10月19日にはWBAフェデカリブライトフライ級王座を獲得した。2002年2月8日にCABOFEライトフライ級王座の獲得を目指すも3回負傷判定引分で王座獲得に失敗。その後、ノンタイトル戦を挟み、2006年8月10日にオーリンズ・ホテル・アンド・カジノでブライアン・ビロリアの持つWBCライトフライ級王座に挑戦し、3-0(118-110、117-111、117-112)の判定勝ちを収め、世界王座初挑戦にして王座獲得に成功した。
2006年11月18日にはトーマス&マック・センターでの初防衛戦がブライアン・ビロリアとのダイレクトリマッチとなったが、1-0(115-112、113-113、113-113)の判定勝ちを収め初防衛に成功した。
2007年2月1日、前年11月18日のブライアン・ビロリアとの初防衛戦後のドーピング検査でメタンフェタミンの陽性反応を示したため[1]、引分となった試合結果は取り消され無効試合となり、WBC世界ライトフライ級王座も剥奪となった。
2010年2月27日、WBC世界ライトフライ級王者ロデル・マヨールに挑戦。3回、ニーニョのローブローでレフェリーが割って入ろうとしたところに左フックを繰り出し、マヨールは失神。協議の結果、負傷判定で引分となり、王座獲得ならず[2]。
2010年6月20日、ロデル・マヨールとのダイレクトリマッチ。2回と4回にマヨールがバッティングにより減点されたこともあり、3-0(115-111、117-109、115-112)の判定勝ちを収め、再戦を制すると共に約3年ぶりに王座返り咲きを果たした[3]。
2010年9月4日、初防衛戦でロナルド・バレラと対戦し、6回終了時にバレラが棄権し初防衛に成功した[4]。
2010年11月6日、2度目の防衛戦でヒルベルト・ケブ・バースと対戦し、1回と8回にダウンを奪われた末に0-2(110-116、111-115、113-113)の判定負けを喫し2度目の防衛に失敗、王座から陥落した。試合後フライ級に正式転向。
2012年5月13日、フィリピンメトロ・マニラパシッグのイナレス・スポーツ・アリーナでブライアン・ビロリアが持つWBO世界フライ級王座に挑戦し、9回2分7秒TKO負けを喫し王座獲得に失敗すると共に2階級制覇にも失敗した[5]。
獲得タイトル
[編集]脚注
[編集]- ^ ニーニョ、ドーピングで薬物発覚 「月刊ボクシングワールド」オフィシャルサイト 2006年11月30日閲覧
- ^ マヨール、倒されて王座守る ボクシングニュース「Box-on!」 2010年2月28日
- ^ ニーニョ、マヨールを攻略 WBC・L・フライ級 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年6月21日
- ^ ソリス&ニーニョTKO防衛 グアダラハラの2タイトル戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年9月5日
- ^ ビロリア、ニーニョをTKO WBOフライ級王座V2 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年5月15日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 ブライアン・ビロリア |
WBC世界ライトフライ級王者 2006年8月10日 - 2007年(剥奪) |
空位 次タイトル獲得者 エドガル・ソーサ |
前王者 ロデル・マヨール |
WBC世界ライトフライ級王者 2010年6月20日 - 2010年11月6日 |
次王者 ヒルベルト・ケブ・バース |