オットー1世 (シェイエルン伯)
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オットー1世 Otto I. | |
---|---|
シェイエルン伯 | |
称号 |
シェイエルン伯 Graf von Scheyern |
死去 |
1072年12月4日 |
配偶者 | メギンハルト・フォン・ライヒェルスボイエルンの娘 |
ハツィガ・フォン・ディーセン | |
子女 |
エッケハルト1世 ベルンハルト1世 オットー2世 アルノルト1世 |
父親 | ペグニッツ伯ハインリヒ1世 |
母親 | アルトドルフ伯クーノ1世の娘 |
オットー1世(ドイツ語: Otto I.、1020年ごろ? - 1072年12月4日)は、シェイエルン伯。ヴィッテルスバッハ家の先祖のうち、確認できる者のなかで最古の者であり、家祖とされる。
生涯
[編集]オットー1世の父親はペグニッツ伯ハインリヒ1世[1]で、母親はアルトドルフ伯クーノ1世の娘である[2]。バイエルン地方のフライジングのフォークト(代官)に任命された[3]。1073年の文献において"Comes de Skyrun"(ラテン語で「シェイエルン伯」の意)と呼ばれた。1072年12月4日、エルサレムへの巡礼の道中に亡くなった[3]。
家族
[編集]オットー1世は2度結婚し、1度目の妻はメギンハルト・フォン・ライヒェルスボイエルンの娘だったが、名前は知られていない[4]。1057年ごろ、彼はディーセン伯フリードリヒ2世の娘ハツィガと結婚した。オットー1世の息子がそれぞれオットー1世とどの妻との間の息子であるかは諸説あるが、4人の息子は相次いでシェイエルン伯位を継いだ[4]。
- エッケハルト1世 - シェイエルン伯
- ベルンハルト1世(1102年/1104年3月2日没) - シェイエルン伯
- オットー2世(1110年/1120年/1122年10月21日没) - シェイエルン伯
- アルノルト1世(1123年頃没) - シェイエルン伯、ダッハウ伯
脚注
[編集]- ^ ハインリヒ・フォン・シュヴァインフルトの子ともいわれる(Hubensteiner, p.498)。
- ^ Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge, Band I (Marburg, Germany: Verlag von J. A. Stargardt, 1980), Tafeln 9, 23
- ^ a b Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln: Stammtafeln zur Geschichte der Europäischen Staaten, Neue Folge, Band I (Marburg, Germany: Verlag von J. A. Stargardt, 1980), Tafel 23
- ^ a b Family tree of the Counts of Scheyern-Wittelsbach-Dachau-Valley, from a lecture by Prof. Schmid: Bayern im Spätmittelalter, winter 1996/97.
参考文献
[編集]- Ludwig Holzfurtner: Otto von Scheyern. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 19, Duncker & Humblot, Berlin 1999, ISBN 3-428-00200-8, S. 694 (電子テキスト版).
- Hubensteiner, Benno. Bayerische Geschichte. München: Süddeutscher, 1992.