オケロ・ピーター
基本情報 | |
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本名 | ピーター・オケロ |
通称 | The Letter O |
階級 | ヘビー級 |
身長 | 193cm |
国籍 | ウガンダ |
誕生日 | 1972年6月19日(52歳) |
出身地 | カンパラ |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 29 |
勝ち | 21 |
KO勝ち | 19 |
敗け | 8 |
オケロ・ピーター(Okhello Peter、男性、1974年6月19日 - )は、ウガンダ出身の元プロボクサー。本名はピーター・オケロ(Peter Okhello)。緑ボクシングジム所属。旧リングネームはMG・ピーター(MG Peter)。
来歴
[編集]1997年に来日し北陸イシマルジムに所属。リングネーム「ピーター・イシマル」として12月6日、福井県敦賀市での酒井公高(相模原ヨネクラ)との対戦でプロデビューし、勝利を収めた。
1999年4月10日、岡山武道館にてトアキバ・タセファ(ニュージーランド)が持つOPBF東洋太平洋ヘビー級王座に挑戦するも判定負け。これがプロ初の敗北となった。
2000年12月、緑ジムに移籍。以後は「オケロ・ピーター」を名乗った。
2001年3月31日、名古屋センチュリーホールにて空位となったOPBF東洋太平洋ヘビー級王座に再挑戦。トーン・フィソ(ニュージーランド)を判定で下し、王座を獲得した。
2005年3月23日、後楽園ホールにおいて、日本人初となる高橋良輔(金子)の同ヘビー級王座への挑戦を退け、8度目の防衛に成功した。
同年6月11日、ドイツ・ケンプソンにてサイナン・サミールサン(ドイツ)が持つWBCインターナショナルヘビー級王座に挑むも判定負け。
2006年4月15日、後楽園ホールにてボブ・ミロビック(オーストラリア)を判定で下しOPBF王座9度目の防衛に成功した。
同年9月、世界王座挑戦を控えてOPBF王座は返上し、11月11日にはリングネームを「MG・ピーター」へ改めた。
同年12月10日、ロシア・モスクワのオリンピスキー・スポーツ・コンプレックスでオレグ・マスカエフ(カザフスタン)が持つWBC世界ヘビー級王座に挑戦。日本のジム所属選手初のヘビー級での世界挑戦だったが、判定で敗れた。
2009年7月5日、再び「オケロ・ピーター」として名古屋国際会議場で楠ジャイロ(松田)とヘビー級6回戦を行い、初回KO勝利で2年7か月ぶりの再起を果たした[1]。
2010年5月8日、大阪にて名城信男 vs ウーゴ・カサレスのアンダーカードとしてローレンス・タウアサ(サモア)に6回KO勝利。その後緑ジムと契約が切れる[2]。
2011年4月17日、インドネシアにてクリス・ジョン vs ダウド・ヨルダンのアンダーカードとしてアレックス・リーパイ(オーストラリア)と対戦するが、3回KO負け。
同年11月24日、中国・雲南省昆明市にて熊朝忠 vs ハビエル・マルティネスのアンダーカードでフレディ・ミラー(アメリカ合衆国)に4回TKO勝利[4]。
2013年7月25日、日本での3年ぶりの試合を後楽園ホールにて56年ぶりに復活する日本ヘビー級王座をかけて藤本京太郎と対戦するが、6回に2度のダウンを奪われKO負け[5]。
2014年3月28日、中国の四川省遂寧市にてエフゲニー・オルロフと12回戦で対戦するが9回に棄権負けとなった。
獲得タイトル
[編集]脚注
[編集]- ^ 元世界ヘビー級挑戦者ピーターが再起 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年7月5日閲覧
- ^ 離日のピーターがインドネシアで復帰戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年3月26日閲覧
- ^ ヘビー級 緑ボクシングジム
- ^ 中国に初の世界王者 内藤と戦った熊が殊勲 ボクシングニュース「Box-on!」 2012年11月25日閲覧
- ^ “藤本がKOでピーター下す 日本ヘビー級決定戦”. ボクシングニュース「Box-on!」. (2013年7月25日)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]空位 前タイトル保持者 コリン・ウィルソン |
第13代OPBF東洋太平洋ヘビー級王者 2001年3月31日 - 2006年9月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 アレックス・リーパイ |