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オクラホマ・スーナーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オクラホマ・スーナーズ
Oklahoma Sooners
Logo
大学オクラホマ大学
カンファレンスSEC
NCAAディビジョンI (FBS)
体育局長ジョー・カスティリオーネ
所在地オクラホマ州ノーマン
チーム数19
フットボール場ゲイロード・ファミリー・オクラホマ・メモリアル・スタジアム
バスケットボール
アリーナ
ロイド・ノーブル・センター
野球場L・デール・ミッチェル・ベースボールパーク
マスコットスーナー・スクーナー
愛称スーナーズ
応援歌ブーマー・スーナー
ウェブサイトwww.soonersports.com
フットボールチーム
ゲイロード・ファミリー・オクラホマ・メモリアル・スタジアム
ロイド・ノーブル・センター

オクラホマ・スーナーズ英語: Oklahoma Sooners)は、オクラホマ州ノーマンに本部を置く、オクラホマ大学スポーツ競技チームである。男女合わせて19チームで構成され、愛称は「スーナーズSooners)」。1889年ランド・ランの初期の参加者に付けられたニックネームで、このランド・ランは、アメリカ合衆国政府が未開拓地のオクラホマに先住民以外の入植に解禁したことに由来している[1][2]全米大学体育協会(NCAA)のディビジョンⅠビッグ12カンファレンスに所属している。

競技チーム

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男子 女子
野球 バスケットボール
バスケットボール クロスカントリー
クロスカントリー ゴルフ
フットボール 体操
ゴルフ ボート
体操 サッカー
テニス ソフトボール
陸上競技 Tennis
レスリング 陸上競技
バレーボール
† – 陸上競技は、屋内と屋外両方が含まれる。
オクラホマ・カラーのSECのロゴ

オクラホマ大学は1914年のサウスウェスト・アスレチック・カンファレンス (SWC) 結成時に創立メンバーとして加盟した。5年後の1919年にOUはSWCを離れ、ミズーリバレー・インターカレッジ・アスレチック・アソシエーションに加盟した。1928年にこのカンファレンスは分裂し、OUはビッグ6カンファレンスを形成するチームと足並みをそろえることになった。その後31年間、さらに多くの学校が加入し、カンファレンスは何度か名称を変更。そのたびに数を増やし、1996年までビッグ・エイト・カンファレンスとして存続した。テキサス州の4校がビッグ・エイトのメンバーと合流し、現在のビッグ12カンファレンスが形成された。

2021年7月にテキサス大学とともにSECへの加盟を決定。2024年7月1日段階で公式にSECのチームとしての参加が発表された[3]

オクラホマ大学は、ジョン・ウッデン賞 (ブレイク・グリフィン)、ハイズマン賞 (サム・ブラッドフォード)の受賞者を同じ年に輩出した2校目である (1校目は1968年にUCLAゲーリー・ベバンがハイズマン賞を、カリーム・アブドゥル=ジャバーがUSBWA年間最優秀選手賞を受賞した)。

フットボール

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オクラホマ・メモリアル・スタジアム

1895年からスーナーズはカレッジフットボールに参加しており、オーウェン・フィールドのゲイロード・ファミリー・オクラホマ・メモリアル・スタジアムを本拠地としている。カレッジフットボールにおいてオクラホマ大学は強豪として全米に知られており、これまで7度にわたりナショナル・チャンピオン (1950年, 1955年, 1956年, 1974年, 1975年, 1985年, 2000年)を制覇している。また、数々のボウルゲームに出場、50回のカンファレンスチャンピオン (ビッグ7時代の選手権を含む) 、APナショナルチャンピオンシップトロフィーを7回受賞するなど、ビッグ12の中でも最も輝かしい歴史を誇るチームである。オクラホマ大学は通算得点が2位の学校より60試合以上少ない試合数にもかかわらず、ディビジョンI-Aのフットボール史上最多の得点を記録している[4]。また、1936年のAP投票開始以来、どのチームよりも高い勝率を誇っている[5]

男子バスケットボール

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ロイド・ノーブル・センター

男子バスケットボールチームは、80年代初頭からヘッドコーチのビリー・タブスや3度のオールアメリカン・パワーフォワード選出のウェイマン・ティスデイルを擁し、全国的に有名になった。現在は、ロイド・ノーブル・センターで試合が行われている。全米大会での優勝経験はないものの、優勝経験のない大会での優勝回数はイリノイ大学に次いで2位である。1988年には全米選手権に出場したが、シーズン序盤に2度、強豪カンザス大学を破っていたにもかかわらず敗退した。

2005-06シーズン、Taj Gray、Kevin Bookout、Terrell Everett、David Godboldに率いたスーナーズは、APプレシーズン投票5位でシーズンを迎えたが、期待外れに終わった。スター選手を秘めていたマイケル・ニール率いるスーナーズは、ビッグ12カンファレンス・トーナメントで第3シードを獲得したが、NCAAトーナメント1回戦で敗退した。

オクラホマ大学はレギュラーシーズンとトーナメントを合わせて20回のカンファレンス優勝を果たしている。 2006-2007シーズンにかけては、12年連続でポストシーズン・トーナメントに出場するチャンスだったが、NCAAトーナメントおよびNITにも出場できず、残念な結果に終わった。

ブレイク・グリフィン

2009年にはオクラホマ大学出身として初のNBAドラフト全体1位ブレイク・グリフィンが指名された。

名誉ジャージ

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オクラホマ・スーナーズ名誉ジャージ
No. 選手 Pos. 在籍期間 授与年
10 ムーキー・ブレイロック PG 1987–1989 2001
23 ウェイマン・ティスデイル PF 1982–1985 1997
23 ブレイク・グリフィン PF 2007–2009 2016
33 アルヴァン・アダムス PF 1972–1975 1998
33 ステイシー・キング PF 1985–1989 2008

女子バスケットボール

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オクラホマ大学女子バスケットボールチームは1974-75シーズンに設立された。

ライバル

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ネブラスカ・コーンハスカーズ

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オクラホマステート・カウボーイズ

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オクラホマ大学は、オクラホマ州立大学カウボーイズと州内対抗戦を行っており、しばしば「ベッドラム・シリーズ」と呼ばれる。

伝統

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オクラホマ大学の応援歌は、イェール大学のファイトソング「Boola Boola」、ノースカロライナ大学チャペルヒル校の応援歌「I'm a Tar Heel Born」を合わせた「Boomer Sooner」である。「Boomer Sooner」は、1905年にArthur M. Aldenによって作詞された。

全米大学選手権優勝

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ナショナル・チャンピオン (39回)
男子 (30回)
スポーツ 年度 ヘッドコーチ 総合成績
野球 1951 Jack Baer 16–9
1994 Larry Cochell 50–17
フットボール 1950 Bud Wilkinson 10–1
1955 11–0
1956 10–0
1974 Barry Switzer 11–0
1975 11–1
1985 11–1
2000 Bob Stoops 13–0
ゴルフ 1989 Gregg Grost
2017 Ryan Hybl
体操競技 1977 Paul Ziert
1978 10–1
1991 Greg Buwick 15–1
2002 Mark Williams 28–1
2003 26–0
2005 21–2
2006
2008
2015
2016
2017
2018
レスリング 1936 Paul V. Keen
1951 Port Robertson
1952
1957
1960 Tommy Evans
1963
1974 Stan Abel
女子 (9回)
体操 2014 K.J. Kindler 31–2–1
2016 38–1
2017 33–0
2019
ソフトボール 2000 Patty Gasso 66–8
2013 57–4
2016 57–7
2017 61–9
2021 56–4

脚注

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  1. ^ What is a Sooner?”. Oklahoma Sooners (May 28, 2015). May 28, 2015閲覧。
  2. ^ Sooner – Encyclopedia of Oklahoma History and Culture”. Oklahoma Historical Society (May 28, 2015). May 28, 2015閲覧。
  3. ^ OU, Texas get OK from regents for '24 SEC move” (英語). ESPN.com (2023年5月6日). 2023年10月27日閲覧。
  4. ^ Division I-A All-Time Points Scored Archived May 26, 2006, at the Wayback Machine. College Football Data Warehouse.
  5. ^ Soonersports.com. OU Football Quick Facts Archived August 20, 2007, at the Wayback Machine.. Retrieved on August 21, 2007.

外部リンク

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