エルンスト・ヘウスラー
エルンスト・ヘウスラー Ernst Häussler | |
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騎士鉄十字章を佩用するヘウスラー(1943年) | |
生誕 |
1914年3月31日 ヴュルテンベルク |
死没 |
1979年7月14日 (65歳没) エーリンゲン |
所属組織 | 武装親衛隊 |
軍歴 | 1933年 - 1945年 |
最終階級 | 武装SS大佐(Standartenführer) |
エルンスト・ヘウスラー(Ernst Häussler, 1914年3月31日 - 1979年7月14日)は、ドイツの軍人。第二次世界大戦中、武装親衛隊の隊員として戦った。最終階級は武装SS大佐。騎士鉄十字章受章者。
若年期
[編集]1914年3月31日、エルンスト・ヘウスラーはヴュルテンベルクにて生を受けた。1933年3月、親衛隊(SS)に志願入隊する。SSの隊員番号は217,862、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP, ナチ党)の党員番号は1,150,866であった。SS入隊後、ヘウスラーはSSドイッチュラント連隊(SS Standarte Deutschland)に配属された。1935年4月には親衛隊伍長(Unterscharführer)に昇進し、翌年にはブラウンシュヴァイクにあったSS士官学校(SS-Junkerschule)への入校が決定した[1]。卒業後、ヘウスラーは上バイエルンの親衛隊髑髏部隊(SS-TV)に配属され、1936年から1939年にかけてダッハウ収容所に勤務した。
第二次世界大戦
[編集]1940年、ヘウスラーは新たに編成されたSSトーテンコップ師団に第5中隊長として配属された。1940年6月、二級鉄十字章および黒色戦傷章を受章。続いてバルバロッサ作戦に参加したヘウスラーは1941年7月に一級鉄十字章、東部戦線従軍記章を受章。さらに1943年4月にはドイツ十字章金章を受章し、1943年6月にはSS少佐(Sturmbannführer)への昇進を果たす。1943年8月、騎士鉄十字章を受章[1]。
ヘウスラーは第3師団で第1SSトーテンコップ予備大隊の大隊長を務めた後、第17SS装甲擲弾兵師団に大隊長として配属された。後に再び第3師団に戻り、第5SS装甲擲弾兵連隊の連隊長を務めた[1][2]。
その後
[編集]ヘウスラーは戦争を生き延びた。1979年7月14日、エーリンゲンにて心不全で死去した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d “frontkjemper”. 2011年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月12日閲覧。
- ^ “ss.panzergrenrgt.5”. 2008年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月12日閲覧。
参考文献
[編集]- Fellgiebel, Walther-Peer. Die Träger des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939-1945. Friedburg, Germany: Podzun-Pallas, 2000. ISBN 3-7909-0284-5.
- Mitcham, Jr.Samuel, Retreat to the Reich, Stackpole books 2007. ISBN 0-8117-3384-X
- Henschler Henri & Fay Will, Armor Battles of the Waffen-SS, 1943-45 Stackpole Books, 2003. ISBN 0-8117-2905-2