エリーザベト・アウグステ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ
エリーザベト・アウグステ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ Elisabeth Auguste von Pfalz-Sulzbach | |
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プファルツ選帝侯妃 バイエルン選帝侯妃 | |
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在位 |
プファルツ選帝侯妃: 1742年12月31日 - 1777年12月30日 バイエルン選帝侯妃: 1777年12月30日 - 1794年8月17日 |
出生 |
1721年1月17日 神聖ローマ帝国 プファルツ選帝侯領、マンハイム |
死去 |
1794年8月17日(73歳没) 神聖ローマ帝国 プファルツ選帝侯領、ヴァインハイム |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 バイエルン選帝侯領、ミュンヘン、聖ミヒャエル教会 |
配偶者 | カール・テオドール |
子女 | フランツ |
家名 | プファルツ=ズルツバッハ家 |
父親 | ヨーゼフ・カール・フォン・プファルツ=ズルツバッハ |
母親 | エリーザベト・アウグステ・ゾフィー・フォン・デア・プファルツ |
エリーザベト・アウグステ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ(Elisabeth Auguste von Pfalz-Sulzbach, 1721年1月17日 - 1794年8月17日)は、プファルツ選帝侯・バイエルン選帝侯カール・テオドールの最初の妃。
生涯
[編集]エリーザベトは、プファルツ系ヴィッテルスバッハ家の支族であるプファルツ=ズルツバッハ公テオドール・オイスタッハの長男ヨーゼフ・カールの娘として、マンハイムで生まれた。母エリーザベト・アウグステ・ゾフィーはプファルツ選帝侯カール3世フィリップの娘であった。
1742年1月、従弟のカール・テオドールと結婚した。父ヨーゼフ・カールは祖父テオドール・オイスタッハに先立って死去しており、男子もなかったため、プファルツ=ズルツバッハ公はヨーゼフ・カールの弟ヨハン・クリスティアンを経て、その息子であるカール・テオドールに継承されていた。カール・テオドールは同年末に死去したエリーザベトの外祖父カール3世フィリップの選帝侯位を継承、1777年には更にバイエルン選帝侯位も継承した。
結婚生活は幸福ではなかった。エリーザベトは結婚20年目にして長男フランツを1762年に生むが、生後1日で亡くしてしまった。エリーザベトとカール・テオドールは以後別居し、それぞれ愛人をつくったものの、決して離婚しなかった。
エリーザベトはプファルツのオッガースハイム(現在はルートヴィヒスハーフェンの行政区)にある自身の邸宅へ移り住んだ。1793年の終わりにフランス革命軍がオッガースハイムへ進軍すると、エリーザベトはヴァインハイム(当時はプファルツ選帝侯領、のちにバーデン大公国へ編入された)へ逃がれ、1794年に同地で没した。1799年にカール・テオドールも死去、後妻マリア・レオポルディーネとの間にも子供がなく、エリーザベトの妹マリア・フランツィスカと同族のフリードリヒ・ミヒャエルの末子マクシミリアン・ヨーゼフ(後のバイエルン国王)が選帝侯を継いだ。
参照
[編集]- Lebenslust und Frömmigkeit, Kurfürst Carl Theodor zwischen Barock und Aufklärung, Handbuch ISBN 3-7917-1679-4 und Ausstellungskatalog ISBN 3-7917-1679-4
- Karl Kreuter, Kurfüstin Elisabeth Auguste von Pfalz-Bayern 1727 - 1794, Oggersheim 1919