エリベルト・ラスカーノ
エリベルト・ラスカーノ Heriberto Lazcano | |
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生誕 |
1974年12月25日 メキシコ イダルゴ州アパン |
現況 | 死亡 |
死没 |
2012年10月7日(37歳没) コアウイラ州プログレソ |
別名 |
Z-3(ゼータ3) El Lazca |
団体 | ロス・セタス |
肩書き | 最高幹部 |
後任者 | ミゲル・トレビーニョ・モラレス |
敵対者 |
メキシコ軍 メキシコ連邦警察 ガルフ・カルテル シナロア・カルテル |
エリベルト・ラスカーノ・ラスカーノ(スペイン語: Heriberto Lazcano Lazcano、別名: Z-3、1974年12月25日 - 2012年10月7日)は、メキシコの麻薬カルテル「ロス・セタス」の最高幹部。アルトゥーロ・グスマン・デセナに雇い入れられた元同僚の一人である。
セタスを常軌を逸した残虐集団に変容させた張本人で、"El Verdugo"(処刑人、死刑執行人という意味)という通り名で恐れられていた。
人物
[編集]イダルゴ州アパンの農村で育ち、17歳で陸軍に入隊した。その後、メキシコ軍特殊部隊に配属され、上官だったデセナとともにアメリカやイスラエルでの訓練やゲリラとの戦闘を経験した経歴を持つ。自らがセタスのリーダーとなってからはメキシコの軍人や警察、路上の犯罪者だけでなく、グアテマラの残虐さで知られる特殊部隊(カイビレス)出身者を雇って組織を拡大させ[1]、最大時には10,000人もの勢力を築き上げていた。
競馬と金髪女性を好んでいたとされるが、私生活については謎が多い。野心的かつ冷酷な性格で、対立相手を捕らえると、生きたまま頭部を切り落とす、食べ物を与えず飢えさせる、野生動物のエサにするなどして楽しんでいたとされる[2]。また、失態を犯した部下には「ラ・パレータ」(パレット、メキシコのアイスキャンディーの商品名)といって、2×4の角材で数日間かけて撲殺する方法を用いていた[3]。
一説には少なくとも100人以上の敵対者を殺害したと言われており、メキシコ政府は260万ドル、アメリカ政府は500万ドルの賞金を懸けていた。
死亡
[編集]2012年10月7日に発生したメキシコ海軍との銃撃戦で死亡した[4][5]。この銃撃戦で彼の部下1人も死亡し、また、彼らを狙った海兵隊員1人も手榴弾の爆発で怪我を負った[6]。
メキシコ当局は同年10月10日、同氏の遺体が葬儀場に押し入ってきた武装集団によって奪われたことを明らかにした[2]。
脚注
[編集]- ^ Ioan Grillo (13 January 2012). “Mexico's cartel army, Los Zetas, is drug war's scourge”. GlobalPost. オリジナルの10 October 2012時点におけるアーカイブ。 10 October 2012閲覧。
- ^ a b メキシコ麻薬組織リーダーの遺体、葬儀場から奪われる AFPBB News(2012年10月10日)2013年7月22日閲覧
- ^ (要購読契約) Casey, Nicholas (9 October 2012). “Feared Gang's Chief Rose From Elite Military Ranks”. The Wall Street Journal. オリジナルの10 October 2012時点におけるアーカイブ。 10 October 2012閲覧。
- ^ “麻薬密売組織セタスの最高指導者を殺害か、メキシコ軍”. AFPBB News. (2012年10月9日) 2013年7月22日閲覧。
- ^ “Mexican officials fail to identify dead man as leader of Zetas cartel”. The Guardian (Mexico City). (2012年10月10日)
- ^ “Zetas boss Heriberto Lazcano's death confirmed”. The Guardian (Mexico City). (2012年10月9日). オリジナルの2012年10月9日時点におけるアーカイブ。 2012年10月9日閲覧。