エリック・ノット
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | イリノイ州クック郡 |
生年月日 | 1974年9月23日(50歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 188 lb =約85.3 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1996年 MLBドラフト24巡目 |
初出場 |
NPB / 2000年7月6日 MLB / 2001年9月1日 |
最終出場 |
NPB / 2000年8月19日 MLB / 2003年8月26日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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エリック・ジェームズ・ノット(Eric James Knott, 1974年9月23日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州クック郡出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]1996年のMLBドラフト24巡目でアリゾナ・ダイヤモンドバックスに指名され契約。
2000年までメジャーでの出場はなく、同年6月27日にNPBの千葉ロッテマリーンズに入団。背番号「45」。この年入団のクリス・ロバーツが今一つの成績だったことや入団当時25歳と若かったこともあり、登録期間終了直前に貴重な先発左腕投手として獲得された。入団にあたっては「何年でもいたい」と述べ、7月14日の対西武戦で当時左腕に極端に弱かった西武から初勝利を挙げたものの、その後の登板では派手に打ち込まれてしまい防御率11.02と散々な成績であった。このため、同シーズン終盤の9月26日に解雇された。
ロッテ退団翌年の2001年9月1日にダイヤモンドバックスでメジャー初昇格を果たした。しかし、2003年にモントリオール・エクスポズでメジャー再昇格した以外はマイナーでの生活が中心となり、数々のマイナーリーグおよびメキシカンリーグのチームを渡り歩き、2007年に現役引退[1]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2000 | ロッテ | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 82 | 16.1 | 22 | 1 | 12 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 20 | 20 | 11.02 | 2.08 |
2001 | ARI | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 25 | 4.2 | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | 9 | 1 | 1.93 | 1.71 |
2003 | MON | 13 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 86 | 19.1 | 23 | 2 | 6 | 0 | 0 | 17 | 0 | 0 | 12 | 11 | 5.12 | 1.50 |
NPB:1年 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 82 | 16.1 | 22 | 1 | 12 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 20 | 20 | 11.02 | 2.08 | |
MLB:2年 | 16 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 111 | 24.0 | 31 | 2 | 6 | 0 | 2 | 21 | 0 | 0 | 21 | 12 | 4.50 | 1.54 |
記録
[編集]- NPB
- 初登板・初先発:2000年7月6日、対福岡ダイエーホークス16回戦(千葉マリンスタジアム)、4回6失点
- 初奪三振:同上、1回表に大道典良から
- 初勝利・初先発勝利:2000年7月14日、対西武ライオンズ16回戦(千葉マリンスタジアム)、6回1失点
背番号
[編集]- 45(2000年)
- 57(2001年)
- 41(2003年)