エリス・ヤーナル・ベリー
エリス・ヤーナル・ベリー Ellis Yarnal Berry | |
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生年月日 | 1902年10月6日 |
出生地 |
アメリカ合衆国 アイオワ州、ライアン郡、ラーチウッド |
没年月日 | 1999年4月1日 (96歳没) |
死没地 |
アメリカ合衆国 サウスダコタ州、ラピッドシティ |
出身校 |
モーニングサイドカレッジ サウスダコタ大学 |
所属政党 | 共和党 |
選挙区 | サウスダコタ州第2選挙区 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 | 1951年1月3日 - 1971年1月3日 |
在任期間 | 1938年 - 1942年 |
エリス・ヤーナル・ベリー(英語: Ellis Yarnal Berry、1902年10月6日 - 1999年4月1日)は、アメリカ合衆国の政治家。所属政党は共和党員。 連邦下院議員を10期務めた。
経歴・人物
[編集]ベリーは1902年10月6日にアイオワ州ライアン郡ラーチウッドで生まれ、サウスダコタ州フィリップの高校を卒業。1920年にモーニングサイド・カレッジに入学した。その後、サウスダコタ大学に編入して、1927年に学士号 (法律)を取得して卒業した。同年、卒業証書特権を利用して、弁護士資格を取得して、サウスダコタ州ライマン郡ケネベック町で弁護士活動を開始。サウスダコタ州検事、マクラフリン市長、コーソン郡遺言検認裁判所判事を歴任した[1][2]。
1938年からサウスダコタ州上院議員を2期連続で務めた後、州知事の立法補佐官や州教育委員会の委員を務めた[1][2]。1950年選挙に出馬し、民主党のマートン・B・タイスを破って連邦下院議員に選出され[3]、10期連続で再選されたが、1971年に引退した[1]。
政界を離れた後、サウスダコタ州ラピッドシティに居を構え、1999年に亡くなった[1]。
政治的立場
[編集]1966年に保守的な政治団体リバティー・ロビーはベリーが議会で行った「右翼的な(right-wing)活動」を評価し、「Statesman of the Republic」賞を授与した[4]。
ベリーは下院議員時代に外交委員会と内務・島嶼委員会に所属し、サウスダコタ州のアメリカ先住民の支援政策に注力した[2]。
エポニム
[編集]E.Y.ベリー図書館学習センター:ブラック・ヒルズ州立大学にある施設。ベリーは下院議員を引退後、同大に下院議員時代の資料を寄贈している[5]。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ^ a b c d “Bioguide Search”. BERRY, Ellis Yarnal; 1902 – 1999. 2021年5月18日閲覧。
- ^ a b c “E.Y. Berry Dies at 96” (英語). Washington Post. ISSN 0190-8286 2021年5月18日閲覧。
- ^ Annamae Riiff (1950). Official Election Returns for South Dakota; General Election November 7, 1950. South Dakota Secretary of State
- ^ Pearson, Drew (November 2, 1966). “Judge Rules Against Liberty Lobby”. The Free Lance-Star (Fredericksburg, Virginia): p. 6 December 14, 2014閲覧。
- ^ DAVID B. MILLER (1973). “The E. Y. Berry Papers; An Unexpected Resource for Students of Recent South Dakota History”. SOUTH DAKOTA HISTORY 3(1): 30-40 .
外部リンク
[編集]アメリカ合衆国下院 | ||
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先代 フランシス・ケース |
サウスダコタ州第2選挙区 選出議員 第5代: 1951年1月3日 - 1971年1月3日 |
次代 ジェームズ・アブレズク |
名誉職 | ||
先代 ジェニングス・ランドルフ |
最年長連邦下院議員経験者 1998年5月8日 - 1999年4月1日 |
次代 マイク・マンスフィールド |