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エリザベート・ル・リッシュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エリザベート・ル・リッシュ
Elisabeth Le Riche

出生 941年以前
死去 1007年以降
配偶者 ムラン伯・コルベイユ伯エイモン
  ヴァンドーム伯パリ伯ブシャール1世
子女 エイモンの子:
ティボー
アルベール
モーリス
ブシャール1世の子:
ブシャール
ルノー2世
エリザベート
家名 ル・リッシュ家
父親 ソー領主リジャール・ル・リッシュ
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エリザベート・ル・リッシュフランス語:Elisabeth Le Riche, 941年以前 - 1007年以降直後)は、フランス貴族の女性。初婚でムラン伯・コルベイユ伯エイモン夫人、再婚でヴァンドーム伯パリ伯ブシャール1世夫人となった。

ユーグ大公およびユーグ・カペーにとって、側近の娘、母、妻として生涯最も近しい存在の女性であった。

ソー=デュ=ガティネ

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文献によると941年11月[1]、エリザベートの父ソー=デュ=ガティネ卿リジャール・ル・リッシュ(ラテン語名:エリシエルヌス, Elisiernus[2]が修道士となったが、修道院に入る直前に領地より南西40km先にあったサン=ブノワ=シュル=ロワール修道院を巡礼し[3]、所属教会、邸宅、農奴を寄付した。このような巡礼と寄付は当時フランスでは貴族に限られた特権および通過儀礼であった。

当時リジャールの子女は皆まだ若く、娘エリザベートが未婚であったこと、教会に入った息子ジョゼフが侍者叙階前の奉仕者)[4]であったことが記録に残されている[5]

エリザベートの実父リジャールはソー=デュ=ガティネの用益権を所有していたが、998年にソー=デュ=ガティネ領は修道院が所有していたのではなく、エリザベートの2人目の夫ヴァンドーム・パリ伯ブシャール1世とその次男にあたるパリ司教ルノー2世(1017没)、ユーグ・カペーの共同管理下にあった。

エリザベートはブシャールと結婚する以前は初婚の夫コルベイユ伯エイモンと死別した未亡人であった。

家族

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エリザベートは父リジャール・ル・リッシュと名前不明の母との間に925年から935年の間に生まれた。本人も署名者の1人とされる文書によれば、エリザベートは941年には既に成人を迎えていたが、当時まだ未婚であった。

実弟にあたるジョセフはトゥール大司教(946年 - 957年)であったとされる。

エリザベートは初婚で、初代コルベイユ伯でありムラン家の祖となったエイモンと結婚し、957年頃に死別した。

その後960年頃、未亡人となったエリザベートはブシャール家のヴァンドーム伯ブシャール1世と結婚した。ブシャール1世は、987年にユーグ・カペーよりこれまでの貢献のため、パリ伯位を与えられた。

ブシャール1世は1007年頃に死去。エリザベートもブシャールと死別した直後に亡くなり、その傍に埋葬された。

子女

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エリザベートは2回の結婚により、初婚で3人、再婚で3人と少なくとも6子を授かった。

コルベイユ伯エイモンとの間に以下の子女が生まれた。

ヴァンドーム・パリ伯ブシャール1世との間に以下の子女が生まれた。

  • ブシャール - ムラン副伯、父ブシャールより先に死去
  • ルノー2世1016年没) - 司祭。988年よりユーグ・カペーの宰相991年よりパリ大司教、1006年よりムラン副伯に封臣された。
  • エリザベート(約970年 - 999年12月没) - 985年にアンジェルジェ家アンジュー伯フルク3世と結婚。諸説あるが、女児しか産まなかったことから、嗣子に男児を望む夫により姦通の冤罪を掛けられ、それを口実に最期は火刑に処されたという。授かった一人娘アデール(またはアニェス、1033年もしくは1035年没)がおじであるルノー2世の死後、ヴァンドーム伯位を継承、1023年にボドン・ド・ヌヴェールと結婚し、ヌヴェール家にヴァンドーム伯領をもたらした。夫ボドンが死去した後、長男ブシャール2世が幼少でヴァンドーム伯位を継承したが若死し、アデールと次男フルクで領地を分割相続しヴァンドーム女伯となった。

脚注

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  1. ^ Mabillon; Prou, Vidier
  2. ^ Prou, Vidier
  3. ^ Alodo quod Seda dicitur in Guastinesum pago
  4. ^ ジョゼフが聖職者になったので、他の文献から、父の相続人となったアンソー1世・ル・リッシュとして知られている長男は実在していたと言える。
  5. ^ 『しかし、使徒によれば隣人への配慮を怠ってはならないので、息子のジョセフと娘のエリザベート、そして娘が正当な結婚をして長子が生まれた場合、その子が教会に譲渡した財産の用益権を保持する:彼らが実家を出立した後、その子の用益権のために同じ財産を保持し、同じ財産を完全に前述の貴族に譲渡する必要がある。 そして、修道院長が一般人に恩恵を与えることが許されないように、彼らきょうだいは慣習に屈するであろう。(ラテン語:Quia vero juxta Apostolum cura proximorum negligenda non est, volo, ut easdem res filius meus Joseph, necnon & filia mea Elisabeth, & primogenitus ejusdem filiæ, si de legitimo conjugio fuerit, ad usumfructuarium teneant:post eorum discessum ipsæ res cum omni integritate ad prædictum cœnobium transferantur; & ita in usibus fratrum cedant, ut nulli abbatum liceat inde beneficium laïcis dare.)』

参考文献

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  • Gustave Estournet, Origines des Seigneurs de Nemours, in: Annales de la Société historique et archéologique du Gâtinais, Band 30, 1912, S. 53–57
  • Jean Mabillon, Annales Ord. S. Benedicti, III, S. 711, Nr. LV;
  • Maurice Prou, Alexandre Vidier, Recueil des chartes de l’abbaye de Saint-Benoît-sur-Loire, I (1900), S. 121