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エリザベス・ロードン (モイラ伯爵夫人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョシュア・レノルズによる肖像画。

モイラ伯爵夫人エリザベス・ロードン英語: Elizabeth Rawdon, Countess of Moira、旧姓ヘイスティングズHastings)、1731年3月23日1808年4月11日)は、イギリスの貴族夫人。初代モイラ伯爵ジョン・ロードンの3人目の妻であり、自身も5つの男爵位を継承している。

生涯

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第9代ハンティンドン伯爵セオフィラス・ヘイスティングズと妻セリナ(1707年8月12日 – 1791年6月17日、旧姓シャーリー、第2代フェラーズ伯爵ワシントン・シャーリーの娘[1])の娘として、1731年3月23日に生まれた[2]

1752年2月26日、初代ロードン男爵ジョン・ロードン(1720年3月17日 – 1793年6月20日、1762年に初代モイラ伯爵に叙爵)と結婚[2]、3男3女をもうけた[3]。エリザベス自身によると、結婚を許諾した理由は母との生活に不満だったためだという[4]

  • アン・エリザベス(1753年5月16日 – 1813年1月8日) - 1788年2月15日、初代アイルズベリー伯爵トマス・ブルーデネル=ブルースと結婚
  • フランシス(1754年 – 1826年) - 初代ロードン男爵、第2代モイラ伯爵、初代ヘイスティングズ侯爵、第14代ヘイスティングズ男爵、第17代ハンガーフォード男爵、第17代バットリー男爵
  • ジョン・セオフィラス(1756年11月19日 – 1808年) - 1792年、フランシス・スティーブンソン(Frances Stephenson、1795年没、ジョセフ・ウィリアム・ホール・スティーブンソンの娘)と結婚、1女エリザベス・アン英語版をもうけた
  • セリナ・フランシス(1759年4月9日 – 1827年5月) - 1779年5月10日、第6代グラナード伯爵ジョージ・フォーブズ英語版と結婚、子供あり
  • ジョージ(1761年1月9日 – ?)
  • シャーロット・アデレード・コンスタンシア(Charlotte Adelaide Constantia、1769年 – 1834年) - 1814年、ハミルトン・フィッツジェラルド(Hamilton FitzGerald)と結婚

1760年に信仰を失ったこと(loss of faith)をジョン・ウェスレーに叱責されたこともあり、後年には宗教に対する敵意をあらわにした[4]

政界ではヘンリー・フラッドと親しかったほか[5]、1770年にアイルランドの麻産業振興を目的とする舞踏会を主催し、600人以上の貴族やジェントリが参加した[4]。1789年10月2日に兄フランシスが死去すると、ボトリー男爵位、ハンガーフォード男爵位、ド・モリンズ男爵位、ヘイスティングズ・ド・ヘイスティングズ男爵位、ヘイスティングズ・ド・ハンガーフォード男爵位を継承した[1]1798年アイルランド反乱英語版にあたり、アイルランド総督第2代カムデン伯爵ジョン・プラット英語版アイルランド担当大臣英語版カースルレー子爵ロバート・ステュアートに手紙を書いて政府の強圧政策を批判、息子フランシスアイルランド貴族院で陸軍批判演説を行うために資料を提供した[4]。反乱を起こしたユナイテッド・アイリッシュメン協会英語版の指導者の多くがエリザベスを訪れたという[4]

好古家でもあり、夫に王立アイルランドアカデミー英語版の創立会員になるよう勧め、自身も1783年にロンドン考古協会の『考古学』(Archaeologia)に寄稿した[5]。ダブリンの文学界の有名人であり、モイラ伯爵家の邸宅であるモイラ・ハウス(Moira House)は「天賦の才を備えた人の集まり場」(the gathering place of people of genius)と形容された[5]。エリザベス自身もマリア・エッジワース英語版の作品における登場人物の原型になった[5]

1808年4月11日にダブリンのモイラ・ハウス(Moira House)で死去、ダウン県モイラ英語版で埋葬された[5]。息子フランシスが爵位を継承した[2]

出典

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  1. ^ a b "Huntingdon, Earl of (E, 1529)". Cracroft's Peerage (英語). 29 January 2018. 2021年1月14日閲覧
  2. ^ a b c Cokayne, George Edward, ed. (1893). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (L to M) (英語). Vol. 5 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 323–324.
  3. ^ "Moira, Earl of (I, 1762 - 1868)". Cracroft's Peerage (英語). 2021年1月14日閲覧
  4. ^ a b c d e Richey, Rosemary (2009). "Rawdon, Elizabeth". In McGuire, James; Quinn, James (eds.). Dictionary of Irish Biography (英語). United Kingdom: Cambridge University Press. doi:10.3318/dib.007584.v1
  5. ^ a b c d e Richey, Rosemary (3 January 2008) [2004]. "Rawdon [née Hastings], Elizabeth, suo jure Baroness Botreaux, suo jure Baroness Hungerford, suo jure Baroness Moleyns, suo jure Baroness Hastings, and countess of Moira". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/71627 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)

外部リンク

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イングランドの爵位
先代
フランシス・ヘイスティングズ
ボトリー男爵
1789年 – 1808年
次代
フランシス・ロードン=ヘイスティングズ
ハンガーフォード男爵
1789年 – 1808年
ド・モリンズ男爵
1789年 – 1808年
ヘイスティングズ・ド・ヘイスティングズ男爵
1789年 – 1808年
ヘイスティングズ・ド・ハンガーフォード男爵
1789年 – 1808年