エリザベス・ホーリー
エリザベス・ホーリー | |
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生前のホーリー(2011年) | |
生誕 |
1923年11月9日 アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ |
死没 |
2018年1月26日 (94歳没) ネパール・カトマンズ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | ジャーナリスト、作家 |
雇用者 | タイム、ロイター |
著名な実績 | The Himalayan Database |
家族 |
フランク・ホーリー(父) フローレル・ゴア(母) |
エリザベス・ホーリー(Elizabeth Hawley、1923年11月9日 - 2018年1月26日)は、アメリカイリノイ州シカゴ生まれの女性山岳ジャーナリスト、ヒマラヤ登山の年代記編者。40年以上にわたりヒマラヤ登山の記録をまとめ、その正確な記録から「ヒマラヤ登山記録の認定機関」と呼ばれている[1]。カトマンズ在住。
ミシガン大学で学んだ。ニューヨークのフォーチュン誌のリサーチャーを辞め、世界一周旅行中にカトマンズを訪れた後、ネパールに移住した。そこで短期間リポーターとして働き、サンフランシスコに戻り、数年後タイム誌のジャーナリストとしてネパールに戻った。
その後、登山のニュースを報道するロイター通信社の仕事に就いた。
人生で山に登ったことはないが、40年以上にわたるヒマラヤ登山の最もよく知られた年代記編者である。ネパールでは観光省がヒマラヤ登山の許可を出し、登頂証明書も出しているが、あくまでも登山者の自己申告をそのまま追認するだけで、信頼度は高くないとされる[1][2][3]。ホーリーはカトマンズに入った各国登山隊すべてに聞き取り調査を行っており、カトマンズを通らずに中国側から登る登山者に対しても、シェルパや他の隊の情報から追跡調査を行っている[1]。その記録は世界的に最も信用が高いとされ[1]、他にヒマラヤ登頂を公認する権威ある機関がないことから、ホーリーは事実上の公認機関の役割を果たしている[2]。朝日新聞の近藤幸夫は、ネパール観光省にヒマラヤ登山の記録を調べに行ったときに、担当者から「正確な記録は、ホーリーさんに聞いてください」と言われた[1]。2010年に呉銀善のカンチェンジュンガ登頂疑惑が起こったときには、『登山家たちの間では、カトマンズ在住のエリザベス・ホーリー氏が発行する「ヒマラヤン・データベース」による認定が、正式な認定とされている。』と報じられている[4]。近年、ホーリーの記録は「ヒマラヤン・データベース」としてインターネットで公開されている[5]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e “ヒマラヤの生き字引”. 朝日新聞アスパラクラブ. (2011年4月26日) 2012年7月7日閲覧。
- ^ a b “曖昧に一歩下がったホーリー、カギはパサバンに? 呉銀善氏の14座制覇問題”. 東亜日報. (2010年5月5日) 2012年10月18日閲覧。
- ^ 国立登山研修所「登山研修」 池田常道「頂上とは何を指すのか?」 Vol.25 2010 P.39
- ^ 朝鮮日報 2010年4月30日 「呉銀善隊長、ヒマラヤ14座の完全制覇認定へ。」
- ^ ヒマラヤン・データベース公式サイト
外部リンク
[編集]- 本物見抜くご意見番 朝日新聞夕刊 2011年9月26日 ニッポン人脈記
- エリザベス・ホーリー伝記(英語)
- Outside feature on Elizabeth Hawley