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エリザベス・キリグリュー (シャノン子爵夫人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

シャノン子爵夫人エリザベス・キリグリュー(Elizabeth Killigrew, Viscountess Shannon、1622年5月16日 - 1680年12月)は、イングランドの廷臣[注 1](Courtier)(英語版)。イングランド庶民院議員[1]であったロバート・キリグリュー(Robert Killigrew、1580年 - 1633年)とメアリー・ウッドハウス(Mary Woodhouse、1584年 - 1656年)の第8子として、イギリスロンドンのセント・マーガレット・ロスバリー(St Margaret Lothbury)[注 2](英語版)で生まれた。イギリスの劇作家トーマス・キリグリュー(Thomas Killigrew、1612年 - 1683年)[注 3] (英語版)は兄である。

1639年、エリザベスはアイルランドの大地主、初代コーク伯爵リチャード・ボイル(彼自身エリザベスの継父の友人だった)の息子フランシス・ボイルと結婚した[2]。その後イングランド王チャールズ1世の王妃ヘンリエッタ・マリア女官(maid of honour)として仕え、そこで王妃の息子チャールズ皇太子(後のチャールズ2世)の数多くいた[注 4]ミストレス()の一人となった[3]

エリザベスは、チャールズ皇太子との間の娘シャーロット英語版(Charlotte FitzRoy, Countess of Yarmouth、1650年 - 1684年)を産んだ。1660年イングランド王政復古によりチャールズ2世が即位すると、エリザベスの夫フランシス・ボイルは叙爵されシャノン子爵としてアイルランド貴族となった。

シャーロットは劇作家のジェームズ・ハワード(James Howard、1640年 - 1669年)[注 5](英語版)と結婚し、ジェームズの死後1672年ウィリアム・パストン(William Paston, 2nd Earl of Yarmouth、1654年 - 1732年)(英語版)と再婚した。

エリザベスはまたフランシスとの間にもリチャード、チャールズ、エリザベスの3人の子供をもうけた。長男リチャードの長男リチャード・ボイルは1699年のフランシスの死後、シャノン子爵位を承継し第2代子爵となった[5]

イングランドの詩人アン・キリグリュー(Anne Killigrew、1660年 - 1685年)(英語版)はエリザベスの姪である。

注釈

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  1. ^ 宮殿に仕える臣下。
  2. ^ シティ・オブ・ロンドンイギリス国教会教区教会
  3. ^ イングランド王チャールズ2世宮殿に仕え、機知に富んでいたものの自堕落な劇作家であった[独自研究?]。 代表作は「The Prisoners」、「Claricilla」、「The Parson's Wedding」等。
  4. ^ 王妃キャサリンとの間に子はなかったが、庶子として14人の子(その母は7人)が確認されている。
  5. ^ 代表作は何れも喜劇で「All Mistaken, or the Mad Couple」(1667)と「The English Mounsieur」(1666)。2本ともチャールズ2世の別のミストレス、ネル・グウィンが出演している[4]

脚注

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  1. ^ History of Parliament Online - Robert Killigrew 2016年1月18日閲覧
  2. ^ Whitney, Charles (2006). Early Responses to Renaissance Drama. p.232 2016年1月18日閲覧
  3. ^ Hilliam, David (2000). Monarchs, Murders and Mistresses. Sutton Publishing. p. 239.
  4. ^ Encyclopædia Britannica, 11th Edition 2016年1月29日閲覧
  5. ^ Boyle Family Genealogical Entry - ウェイバックマシン(2012年10月11日アーカイブ分) 2016年1月28日閲覧