エリオット・ソープ
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エリオット・レイモンド・ソープ Elliott Raymond Thorpe | |
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生誕 |
1897年12月26日[1] アメリカ合衆国ウェスタリー (ロードアイランド州) |
死没 |
1989年6月27日[1][2] アメリカ合衆国サラソータ (フロリダ州)[2] |
最終階級 | 准将[2] |
墓所 | アーリントン国立墓地[2] |
エリオット・レイモンド・ソープ(英語: Elliott Raymond Thorpe、1897年12月26日 - 1989年6月27日[1])は、アメリカ陸軍の軍人。
ジャワ島に駐在していた1941年12月初め、オランダ軍将校から日本軍による真珠湾攻撃計画の情報を得て、ただちにこれをワシントンに送信したが、この警告が真剣に受け止められることはなかった[2]。
1942年から、南西太平洋軍総司令部 (GHQ/SWPA)および太平洋陸軍総司令部(GHQ/AFPAC)で対敵諜報部隊(CIC)長を務めた[3]。
1945年10月、初代の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)民間諜報局(Civil Intelligence Section, CIS)長に就任[3]。
A級戦犯容疑者リストの作成
[編集]連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー の命を受け、1945年9月9日、40人近い日本の戦争犯罪人(A級戦犯)の一覧表をとりまとめた[4]。リストの実作成は1936年から1941年まで在日米国大使館の公使を務めたジョン・エマーソンが担当した。まず東條内閣の閣僚がリストに上がり、追加指名の参考資料として『日本紳士録』が使用された[5]。
脚注
[編集]- ^ a b c “BG Elliott Raymond Thorpe”. Find a Grave. 2017年10月10日閲覧。
- ^ a b c d e “Elliott Thorpe, 91, Army Attache Who Warned of Japanese Attack”. ニューヨーク・タイムズ (1989年6月29日). 2017年10月10日閲覧。
- ^ a b c “RG-75 Papers of Brigadier General Elliott R. Thorpe”. 憲政資料室の所蔵資料 日本占領関係資料. 国立国会図書館 (2017年10月3日). 2017年10月10日閲覧。
- ^ “【戦後70年~東京裁判とGHQ(2)】石原慎太郎の忘れ得ぬ屈辱 東條英機は「日本のヒトラー」だったのか? 残された遺族たちは…”. 産経新聞. 産業経済新聞社 (2015年12月21日). 2017年10月10日閲覧。
- ^ & 嵐のなかの外交官 1979, p. 215-216.
参考文献
[編集]- ジョン・エマーソン 著、宮地健次郎 訳『嵐のなかの外交官 : ジョン・エマーソン回想録』朝日新聞社、1979年、269-272頁。NDLJP:11927623/117。