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エラ・パンフィロワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エラ・パンフィロワ
Элла Александровна Памфилова
エラ・パンフィロワ
生年月日 (1953-09-12) 1953年9月12日(71歳)
出生地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ウズベク・ソビエト社会主義共和国
タシュケント州
アルマリク
出身校 モスクワ発電工学研究所
現職 ロシア連邦中央選挙管理委員会委員長
称号 アレクサンドル・ネフスキー勲章
祖国功労勲章三等
祖国功労勲章四等
「祖国に対する功労」メダル一等
「チェチェン共和国に対する功労」メダル
名誉勲章
友好勲章
友好勲章二等(カザフスタン)
レジオンドヌール勲章シュヴァリエ

ロシアの旗 ロシア連邦中央選挙管理委員会委員長
在任期間 2016年3月28日 - 現職
大統領 ウラジーミル・プーチン

ロシアの旗 人権オンブズパーソン
在任期間 2014年3月18日 - 2016年3月25日
大統領 ウラジーミル・プーチン

ソビエト連邦の旗 社会保障大臣
在任期間 1991年11月15日 - 1994年3月2日
大統領 ボリス・エリツィン
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エラ・アレクサンドロヴナ・パンフィロワ: Элла Александровна Памфилова: Ella Aleksandrovna Pamfilova1953年9月12日 - )は、ソビエト連邦およびロシア政治家人権活動家である[1][2][3]

ロシア連邦中央選挙管理委員会ロシア語版英語版委員長(在任期間 : 2016年 - )[4]ロシア連邦人権オンブズパーソンロシア語版英語版(在任期間 : 2014年 - 2016年)[5]ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国およびロシア連邦の社会保障大臣(在任期間 : 1991年 - 1994年)[6]。女性としてはロシア史上初めて大統領に立候補した人物でもある[7]祖国功労勲章英語版友好勲章ロシア語版英語版名誉勲章ロシア語版英語版をはじめ多くの勲章を受章している[5]

旧姓はレコムツェワ: Лекомцева[5]。「エラ」は「エーラ」[8]「エッラ」[9]とも表記され、「パンフィロワ」は「パムフィーロワ」[10]「パムフィロヴァ」[8]「パムフィロワ」[11]「パンフィーロワ」[12]「パンフィロヴァ」[9]とも表記される。

経歴

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1953年9月12日、ソビエト連邦ウズベク・ソビエト社会主義共和国(現在のウズベキスタン共和国)のタシュケント州アルマリクの南部で労働者階級の家庭に生まれる[13][14][6]。両親は、鉱業冶金コンビナートの建設工事に従事しており、この仕事に多くの時間を費やさなければならなかった[15][16]。そのため、幼少期のエラの養育に主に当たったのは、裕福な農民であり職人でもある父方の祖父であった[17][13]。エラは彼から銃の使い方や魚釣りの方法を教わった[17]。エラは活発な性格で、祖父が庭の木に設けた小屋で友達と一緒に何時間も遊んだ[15]。またよく庭で読書をした[13]

学校での成績は優秀で、理解の遅れている生徒に教えてあげることもあった[13]。1970年、高校を首席で卒業する[18][13]。エラは、モスクワ大学のジャーナリズム学部に入学することを望んでいたが、コムソモールの寄付金を支払っていなかったことなどを理由に大学側から入学を拒否された[16]。1976年、モスクワ発電工学研究所英語版ロシア語版電子工学の学位を取得し卒業する[19][20]。同年、同研究所の級友と結婚する[15][13]

1976年から1986年にかけて、モスクワにある生産合同体「モスエネルゴロシア語版」の中央修理・機械工場に電子機器の修理工およびプロセスエンジニアとして勤務する[19][21]。1977年、娘が誕生する[22][23]。1986年から1989年にかけて、同工場の職長および労働組合委員会会長を務める[21][11][6]。1985年4月から1990年7月23日にかけて、ソビエト連邦共産党に所属する[6][24]。1989年、労働組合の枠からソビエト連邦の人民代議員に選出される[1][25][26]。同年5月から10月にかけて、地域間代議員グループに所属する[19]

1991年、ソビエト連邦人民代議員大会の信任状委員会のメンバーとなる[14]。1991年12月から1992年12月にかけて、ロシア連邦政府のもとに組織された、世界規模の人道的・技術的支援に関する評議会の初代副議長を務める[16][4]。1991年11月15日、ボリス・エリツィンに指名されてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国およびロシア連邦の社会保障大臣(現在の労働社会保障大臣英語版ロシア語版)に就任する。1992年12月、エリツィンがエゴール・ガイダルを首相代行の職から解任したことを受けて、同月18日にエラは同相を辞任する旨の辞表を提出するが、エリツィンはこれを拒否した。エラは1994年3月2日まで同相を務める[19][27][2][11][28][6]。1993年、離婚する[20]

1993年12月12日、カルーガ州のカルーガ選挙区から下院議員に選出され、ガイダルが率いる政治ブロック「ロシアの選択」に所属する[24][6]。1994年1月から1994年5月にかけて、下院の労働・社会政策委員会の委員を務める[27]。1994年5月から1995年7月にかけて、ロシア連邦大統領付属社会政策評議会の議長を務める[16][27]。1995年から2000年にかけて、ロシア連邦大統領付属障害者問題評議会の会員を務める[5][4]。1995年、選挙ブロック「パンフィロワ=ルィセンコ=グローフ・ブロック」(: блок «Памфилова - Гуров - Лысенко»)のメンバーを務める[11]

1996年、政治運動グループ “За здоровую Россию”(: “For a Healthy Russia”)の長となる[4]。1996年1月から3月にかけて、下院の女性・家族・青年問題評議会の副議長を務める[5][11]。1998年、政治運動グループ「市民の尊厳のために」(: «За гражданское достоинство»)の長に選出される[19]。2000年2月、ロシア大統領選挙に立候補する。エラはロシア史上初めて大統領に立候補した女性となった。同年3月26日に行われた選挙で758,967票を獲得し、得票率は1.01パーセントで、候補者11名の中で7位となった[29][7][30]

2001年3月、「市民の尊厳のために」を「市民の尊厳ロシア語版」に改名し、2014年3月29日までこのグループの長を務める[19]。2002年から2010年にかけて、全ロシアの公的協会の連合体 “Гражданское общество – детям России”(: “Civil Society - for Children of Russia”)の長を務める[4]。2002年7月12日、ウラジーミル・プーチンの命令により、ロシア連邦大統領付属人権評議会の議長に就任する[5][4]。2004年11月6日、同評議会がロシア連邦大統領付属市民社会発展・人権問題評議会ロシア語版英語版に改組され、エラが同評議会の議長を2010年7月31日まで務める[5][4]

2014年3月18日、ウラジーミル・ルキンに代わってロシア連邦人権オンブズパーソンに就任し、2016年3月25日まで同職を務める[14][5][7][31]。2016年3月3日、プーチンの命令により、ロシア連邦中央選挙管理委員会の委員に就任する[4]。同月28日、ウラジーミル・チューロフの後を継いで同委員会の委員長に就任する[5][4]

受章・栄誉

[編集]

脚注

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  1. ^ a b Noonan 2001, p. 299.
  2. ^ a b Элла Памфилова: «Я считала себя посредником между правозащитниками и властью»”. Совет при Президенте Российской Федерации по развитию гражданского общества и правам человека. 2021年10月9日閲覧。
  3. ^ “ロシア大統領選、ナワリヌイ氏出馬の可能性ない=選管委トップ”. ロイター. (2017年6月15日). https://jp.reuters.com/article/russia-opposition-navalny-idJPKBN1960WU 2021年10月9日閲覧。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k PAMFILOVA Ella Aleksandrovna”. Central Election Commission of the Russian Federation. 2021年10月9日閲覧。
    ПАМФИЛОВА Элла Александровна”. Central Election Commission of the Russian Federation. 2021年10月9日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i “Памфилова, Элла Александровна - Председатель Центральной избирательной комиссии РФ”. ТАСС. https://tass.ru/encyclopedia/person/pamfilova-ella-aleksandrovna 2021年10月9日閲覧。 
  6. ^ a b c d e f “Биография Эллы Памфиловой”. ТАСС. (2021年3月29日). https://tass.ru/info/11017423 2021年10月9日閲覧。 
  7. ^ a b c “Чем известна Элла Памфилова”. コメルサント. (2016年3月28日). https://www.kommersant.ru/doc/2949538#id2118238 2021年10月9日閲覧。 
  8. ^ a b “ロシア憲法改正の投票最終日 首都モスクワでも受付が開始”. スプートニク 日本. (2020年7月1日). https://sputniknews.jp/20200701/7578897.html 2021年10月9日閲覧。 
  9. ^ a b 鳥飼 2018, p. 106.
  10. ^ 池田元博 (2018年4月13日). “プーチン氏はなぜ大勝で再選されたのか”. 日経BP. 2021年10月9日閲覧。
  11. ^ a b c d e ロシア政治家エリート”. 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター. 2021年10月9日閲覧。
  12. ^ ナターシャ・ドフ (2012年3月27日). “大物実業家は24人”. ロシア・ビヨンド. https://jp.rbth.com/articles/2012/03/27/14234 2021年10月9日閲覧。 
  13. ^ a b c d e f “Элла Памфилова - Председатель Центральной избирательной комиссии Российской Федерации”. Свободная Пресса. https://svpressa.ru/persons/ella-pamfilova/ 2021年10月9日閲覧。 
  14. ^ a b c Горшенкова 2018.
  15. ^ a b c Полина Абдулова. “Элла Памфилова”. Узнай Всё. https://uznayvse.ru/znamenitosti/biografiya-ella-pamfilova.html 2021年10月9日閲覧。 
  16. ^ a b c d “Памфилова, Элла - Бывший председатель Совета по содействию развитию институтов гражданского общества и правам человека”. Lenta.ru. https://lenta.ru/lib/14193513/ 2021年10月9日閲覧。 
  17. ^ a b Итоги 2017, p. 27.
  18. ^ “Элла Александровна Памфилова. Биографическая справка”. РИА Новости. (2010年7月30日). https://ria.ru/20100730/259904377.html 2021年10月9日閲覧。 
  19. ^ a b c d e f КоммерсантЪ 2019, p. 18.
  20. ^ a b Sleeman 2001, p. 432.
  21. ^ a b “ЦИК оправдался за "убийственный" доход Памфиловой в 30 млн рублей”. Новости дня «ДеньОнлайн». (2017年12月27日). https://dayonline.ru/society/news/cik-opravdalsya-za-ubiystvennyy-dohod-pamfilovoy-v-63833 2021年10月9日閲覧。 
  22. ^ “Биография Эллы Памфиловой”. РИА Новости. (2016年3月28日). https://ria.ru/20160328/1398532926.html 2021年10月9日閲覧。 
  23. ^ Памфилова Элла Александровна”. Совет по внешней и оборонной политике. 2021年10月9日閲覧。
  24. ^ a b Элла Памфилова, уполномоченный по правам человека. Рубрика "Отставки и назначения" журнала "Коммерсантъ-Власть"”. Совет при Президенте Российской Федерации по развитию гражданского общества и правам человека. 2021年10月9日閲覧。
  25. ^ “К назначению Эллы Памфиловой председателем Комиссии по правам человека при президенте России”. РИА Новости. (2002年7月12日). https://ria.ru/20020712/190731.html 2021年10月9日閲覧。 
  26. ^ “Новость из прошлого: 24 января 2000 года — Элла Памфилова выдвигается в президенты”. ПОЛИТ.РУ. (2020年1月24日). https://polit.ru/news/2020/01/24/20yearsago240100/ 2021年10月9日閲覧。 
  27. ^ a b c Noonan 2001, p. 300.
  28. ^ Pamfilova Ella”. The database “PUTIN'S LIST”. 2021年10月9日閲覧。
  29. ^ Зяньковіч 2006, p. 336.
  30. ^ アレクサンドル・ブラテルスキー (2017年11月10日). “ロシアに女性大統領が誕生する可能性は?:クセニア・サプチャク氏に続き女性2人が名乗り”. ロシア・ビヨンド. https://jp.rbth.com/lifestyle/79325-josei-daitoryo 2021年10月9日閲覧。 
  31. ^ “Памфилова согласилась стать новым омбудсменом”. 英国放送協会. (2014年2月13日). https://www.bbc.com/russian/russia/2014/02/140213_putin_pamfilova_council 2021年10月9日閲覧。 
  32. ^ a b c ПАМФИЛОВА Элла Александровна”. Central Election Commission of the Russian Federation. 2021年10月9日閲覧。
  33. ^ a b “Биография Эллы Памфиловой”. РИА Новости. (2021年3月19日). https://ria.ru/20210319/pamfilova-1601973682.html 2021年10月9日閲覧。 
  34. ^ a b c Памфилова Элла Александровна”. Деловой Петербург. 2021年10月9日閲覧。
  35. ^ “Глава ЦИК РФ Памфилова удостоена казахстанского ордена Дружбы”. ТАСС. (2020年8月22日). https://tass.ru/mezhdunarodnaya-panorama/9260373 2021年10月9日閲覧。 
  36. ^ “Элла Памфилова во главе ЦИК”. РИА Новости. (2016年3月28日). https://ria.ru/20160328/1398542526.html 2021年10月9日閲覧。 

参考文献

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外部リンク

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