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エラスムス・クエリヌス1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エラスムス・クエリヌス
Erasmus Quellinus I
リールの教会(Sint-Gummaruskerk)の装飾彫刻
生誕 1584年
シント=トロイデン
死没 1649年1月22日
アントウェルペン
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エラスムス・クエリヌス(Erasmus Quellinus I または Erasmus Quellinus de Oude、1584年 - 1649年1月22日)はフランドルの彫刻家である。調度品の装飾彫刻などで知られ、3代にわたって、多くの美術家(彫刻家、画家、版画家)を輩出したクエリヌス一族の祖となった人物である。

略歴

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現在のベルギーリンブルフ州シント=トロイデンで生まれた。初期の経歴や誰の弟子であったかなどは知られていない。1606年にアントウェルペン聖ルカ組合の親方になった。

16世紀の宗教改革のなかで起きたイコノクラスム(聖像破壊運動)によって破壊された教会の調度の修復や更新に取り組んだ。代表的な作品は1635年から制作した、アントウェルペンの教会(Sint-Elisabethgasthuis)の祭壇の彫刻やリールの教会(Sint-Gummaruskerk)の祭壇の彫刻などがある。

風景画家、ルーカス・ファン・ウーデン(1595-1672)の姉(妹)と結婚し、息子に同名の画家のエラスムス・クエリヌス(Erasmus Quellinus II または Erasmus Quellinus de Jonge)や版画家のフベルトゥス・クエリヌス(Hubertus Quellinus)、彫刻家のアルトゥール・クエリヌス(Arthur Quellinus I)が生まれた。娘は弟子の彫刻家、ピーテル・フェルブルッヘン(Pieter Verbrugghen I)と結婚した[1]

弟子には ピーテル・フェルブルッヘンやメルヒオール・シャルル(Melchior Charles)、ワレラント・ヴァイアン(Wallerant Vaillant)らがいる[2]

クエリヌス一族の美術家

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  • エラスムス・クエリヌス I (Erasmus Quellinus I :c.1584–1640), 彫刻家
  • エラスムス・クエリヌス Iの甥の一族
    • アルトゥール・クエリヌス II (Artus Quellinus II または Artus Quellinus de Jonge(1625–1700), 彫刻家
      • アルトゥール・クエリヌス III(Artus Quellinus IIIまたは Arnold Quellinus(1653–1686), 彫刻家
      • コルネリス・クエリヌス (Cornelis Quellinus: 1658–1709), 画家,
      • トマス・クエリヌス (Thomas Quellinus: 1661–1709), 彫刻家、コペンハーゲンで活動[4]

参考文献

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  1. ^ Hans Vlieghe and iris Kockelbergh. "Quellinus." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. March 23. 2014
  2. ^ Biographical details at the Netherlands Institute for Art History
  3. ^ Hubertus Quellinus
  4. ^ Hans Vlieghe and Iris Kockelbergh. "Quellinus." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 26 Mar. 2014.