エラスムス・クエリヌス1世
エラスムス・クエリヌス Erasmus Quellinus I | |
---|---|
リールの教会(Sint-Gummaruskerk)の装飾彫刻 | |
生誕 |
1584年 シント=トロイデン |
死没 |
1649年1月22日 アントウェルペン |
エラスムス・クエリヌス(Erasmus Quellinus I または Erasmus Quellinus de Oude、1584年 - 1649年1月22日)はフランドルの彫刻家である。調度品の装飾彫刻などで知られ、3代にわたって、多くの美術家(彫刻家、画家、版画家)を輩出したクエリヌス一族の祖となった人物である。
略歴
[編集]現在のベルギーリンブルフ州のシント=トロイデンで生まれた。初期の経歴や誰の弟子であったかなどは知られていない。1606年にアントウェルペンの聖ルカ組合の親方になった。
16世紀の宗教改革のなかで起きたイコノクラスム(聖像破壊運動)によって破壊された教会の調度の修復や更新に取り組んだ。代表的な作品は1635年から制作した、アントウェルペンの教会(Sint-Elisabethgasthuis)の祭壇の彫刻やリールの教会(Sint-Gummaruskerk)の祭壇の彫刻などがある。
風景画家、ルーカス・ファン・ウーデン(1595-1672)の姉(妹)と結婚し、息子に同名の画家のエラスムス・クエリヌス(Erasmus Quellinus II または Erasmus Quellinus de Jonge)や版画家のフベルトゥス・クエリヌス(Hubertus Quellinus)、彫刻家のアルトゥール・クエリヌス(Arthur Quellinus I)が生まれた。娘は弟子の彫刻家、ピーテル・フェルブルッヘン(Pieter Verbrugghen I)と結婚した[1]。
弟子には ピーテル・フェルブルッヘンやメルヒオール・シャルル(Melchior Charles)、ワレラント・ヴァイアン(Wallerant Vaillant)らがいる[2]。
クエリヌス一族の美術家
[編集]- エラスムス・クエリヌス I (Erasmus Quellinus I :c.1584–1640), 彫刻家
- エラスムス・クエリヌス II (Erasmus Quellinus II :1607–1678), 画家
- ヤン・エラスムス・クエリヌス(Jan Erasmus Quellinus: 1634–1715), 画家
- アルトゥール・クエリヌス I (Arthur Quellinus I :1609–1668), 彫刻家
- フベルトゥス・クエリヌス (Hubertus Quellinus: 1619–1687), 版画家、版画下絵画家[3]
- エラスムス・クエリヌス II (Erasmus Quellinus II :1607–1678), 画家
- エラスムス・クエリヌス Iの甥の一族
- アルトゥール・クエリヌス II (Artus Quellinus II または Artus Quellinus de Jonge(1625–1700), 彫刻家
- アルトゥール・クエリヌス III(Artus Quellinus IIIまたは Arnold Quellinus(1653–1686), 彫刻家
- コルネリス・クエリヌス (Cornelis Quellinus: 1658–1709), 画家,
- トマス・クエリヌス (Thomas Quellinus: 1661–1709), 彫刻家、コペンハーゲンで活動[4]
- アルトゥール・クエリヌス II (Artus Quellinus II または Artus Quellinus de Jonge(1625–1700), 彫刻家
参考文献
[編集]- ^ Hans Vlieghe and iris Kockelbergh. "Quellinus." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. March 23. 2014
- ^ Biographical details at the Netherlands Institute for Art History
- ^ Hubertus Quellinus
- ^ Hans Vlieghe and Iris Kockelbergh. "Quellinus." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 26 Mar. 2014.