エドワード・ルイス (プロデューサー)
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エドワード・ルイス Edward Lewis | |
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生年月日 | 1919年12月16日 |
没年月日 | 2019年7月27日(99歳没) |
出生地 | アメリカ合衆国 ニュージャージー州カムデン |
死没地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス |
職業 | 映画プロデューサー、脚本家 |
配偶者 | ミルドレッド・ルイス |
主な作品 | |
『スパルタカス』 『ミッシング』 |
エドワード・ルイス(Edward Lewis, 1919年12月16日 - 2019年7月27日[1])は、アメリカ合衆国の映画プロデューサー、脚本家である。
生い立ちと私生活
[編集]ニュージャージー州カムデンで生まれる。バックネル大学に通った後、歯科学校で学ぶ。卒業前にはイングランドでアメリカ陸軍に入り、軍病院で働いた。戦後はロサンゼルスに住み、結婚して娘を2人もうけた[2]。2019年7月27日にカリフォルニア州ロサンゼルスにて99歳で亡くなった[1]。
キャリア
[編集]ジョン・フランケンハイマーとのコラボレーションで知られ、彼の映画のうち9本でプロデューサーまたはエグゼクティブ・プロデューサーを務めた。1982年の『ミッシング』のプロデュースにより妻のミルドレッドと共にアカデミー作品賞にノミネートされた[3]。
ルイスはカーク・ダグラス主演・製作総指揮の『スパルタカス』(1960年)をプロデュースした際には脚本のダルトン・トランボを実名でクレジットさせ、ハリウッド・ブラックリストの打破に貢献した。彼は『スパルタカス』の完成直前までユニバーサル=インターナショナルに隠し続けることでこれを実現した[2]。トランボはルイスを「名前を失った男を助けるために自分の名前を危険に晒してくれた」と評していたと報じられている[4]。
主なフィルモグラフィ
[編集]- スパルタカス Spartacus (1960) 製作
- ガン・ファイター The Last Sunset (1961) 製作
- 脱獄 Lonely Are the Brave (1962) 製作
- 秘密殺人計画書 The List of Adrian Messenger (1963) 製作
- 5月の7日間 Seven Days in May (1964) 製作
- セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身 Seconds (1966) 製作
- グラン・プリ Grand Prix (1966) 製作
- フィクサー The Fixer (1968) 製作
- さすらいの大空 The Gypsy Moths (1969) 製作総指揮
- ホースメン The Horsemen (1971) 製作
- ダラスの熱い日 Executive Action (1973) 製作
- ミッシング Missing (1982) 製作
- クラッカーズ/警報システムを突破せよ! Crackers (1984) 製作
- ザ・リバー The River (1984) 製作
参考文献
[編集]- ^ a b Barnes, Mike (August 12, 2019). “Edward Lewis, Producer of Spartacus, Missing and Grand Prix, Dies at 99”. The Washington Post August 14, 2019閲覧。
- ^ a b Roberts, Sam (August 15, 2019). “Edward Lewis, ‘Spartacus’ Producer Who Defied Blacklist, Dies at 99”. New York Times September 4, 2019閲覧。
- ^ “THE 55TH ACADEMY AWARDS”. 映画芸術科学アカデミー. 2019年12月16日閲覧。
- ^ Smith, Harrison (August 13, 2019). “Edward Lewis, Spartacus producer who helped break the blacklist, dies at 99”. The Washington Post August 14, 2019閲覧。