エドワード・ムーア (第5代ドロヘダ伯爵)
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第5代ドロヘダ伯爵エドワード・ムーア(英語: Edward Moore, 5th Earl of Drogheda PC (Ire)、1701年 – 1758年10月28日)は、アイルランド王国の貴族、政治家。
生涯
[編集]ムーア子爵チャールズ・ムーア(1676年12月1日洗礼 – 1714年5月21日、第3代ドロヘダ伯爵ヘンリー・ハミルトン=ムーアの息子)とジェーン・ロフタス(Jane Loftus、1713年没、第3代ロフタス子爵アーサー・ロフタスの娘)の次男として、1701年に生まれた[1]。
1725年から1727年までダンリーア選挙区の代表としてアイルランド庶民院議員を務めた後、1727年5月29日に兄ヘンリーが死去したためドロヘダ伯爵の爵位を継承、同年11月28日にアイルランド貴族院議員に正式に就任した[1]。
1748年5月27日にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[1]。また、ミーズ県総督を務めた[1]。
1758年10月28日、船でイングランドからダブリンに戻る途中、息子エドワード・ロフタスとともに嵐に遭い、海難死した[1]。息子チャールズが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1727年、サラ・ポンソンビー(Sarah Ponsonby、1711年3月27日洗礼 – 1736年1月19日 ダブリン、初代ベスバラ伯爵ブラバゾン・ポンソンビーの娘)と結婚[1]、4男をもうけた[2]。
- ヘンリー(1728年5月1日 – 1752年8月 トゥールーズ) - 生涯未婚
- チャールズ(1730年 – 1822年) - 第6代ドロヘダ伯爵、後に初代ドロヘダ侯爵に叙爵。子供あり
- ポンソンビー(1736年頃 – 1819年8月9日) - 1768年11月、エリザベス・ムーア(Elizabeth Moore、初代マウント・ケッシェル子爵スティーブン・ムーアの娘)と結婚。1781年4月3日、キャサリン・トレンチ(Catherine Trench、1810年没、フレデリック・トレンチの娘)と再婚、子供あり。曽孫に第9代ドロヘダ伯爵ポンソンビー・ウィリアム・ムーアがいる
- エドワード・ロフタス(1736年12月29日 – 1758年10月28日) - 父とともに溺死
1737年9月30日、ブリジット・サウスウェル(Bridget Southwell、ウィリアム・サウスウェルの娘)と再婚[1]、2男1女をもうけた[2]。
- ウィリアム(1742年12月11日 – 1762年)
- ロバート(1743年12月12日 – 1831年9月17日) - マーガレット・スティーブンソン(Margaret Stephenson、ジェームズ・スティーブンソンの娘)と結婚、子供あり。1799年12月13日、マリア・ジョセファ・フォルキナー(Maria Josepha Falkiner、1846年9月23日没、ダニエル・フォルキナーの娘)と再婚、子供なし
- サラ - ウィリアム・ポール(William Pole)と結婚
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 464–465.
- ^ a b "Drogheda, Earl of (I, 1661)". Cracroft's Peerage (英語). 20 August 2003. 2019年8月31日閲覧。
アイルランド議会 | ||
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先代 ウィリアム・アストン リチャード・テニソン |
庶民院議員(ダンリーア選挙区選出) 1725年 – 1727年 同職:ウィリアム・アストン |
次代 フランシス・ノース リチャード・テニソン |
アイルランドの爵位 | ||
先代 ヘンリー・ムーア |
ドロヘダ伯爵 1727年 – 1758年 |
次代 チャールズ・ムーア |