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エドワード・ハーレー (第4代オックスフォード=モーティマー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トーマス・ローレンスによる肖像画、1790年頃。

第4代オックスフォード=モーティマー伯爵エドワード・ハーレー英語: Edward Harley, 4th Earl of Oxford and Earl Mortimer1726年9月2日1790年10月11日)は、グレートブリテン王国貴族政治家

生涯

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第3代オックスフォード=モーティマー伯爵エドワード・ハーレーとマーサ・モーガン(Martha Morgan)の長男として、1726年9月2日に生まれた[1]。1735年から1744年までウェストミンスター・スクールで教育を受けた後[2]、1744年11月3日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1747年11月14日にM.A.の学位を、1749年4月12日にD.C.L.英語版の学位を修得した[3]

1747年イギリス総選挙トーリー党の一員としてヘレフォードシャー選挙区英語版から出馬して当選、議会では1751年12月にヘンリー・ペラムの土地税法案に反対するなど野党としてふるまった[2]1754年イギリス総選挙で再選を果たしたが、翌年の爵位継承まで議会で演説することも投票することもなかった[4]

1755年4月11日に父が死去すると、オックスフォード=モーティマー伯爵の爵位を継承した[1]。同年、大英博物館理事(Trustee)に就任した(1790年に死去するまで在任)[2]

1760年にジョージ3世が即位すると、寝室侍従英語版に任命された[2](1790年まで在任[1])。また、1766年から1790年までラドノーシャー統監英語版を務めた[1]

ブランプトン・ブライアン・ホール英語版

1790年10月8日に死去[4]、21日にブランプトン英語版で埋葬された[1]。子供がいなかったため叔父ジョン英語版の息子エドワードが爵位を継承した[1]

家族

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1751年7月11日、スザンナ・アーチャー(Susanna Archer、1804年11月10日没、ウィリアム・アーチャー英語版の長女)と結婚したが[1]、2人の間に子供はいなかった[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 180.
  2. ^ a b c d e Newman, A. N. (1970). "HARLEY, Edward, Lord Harley (1726-90)". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月6日閲覧
  3. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 2. Oxford: University of Oxford. p. 609.
  4. ^ a b Brooke, John (1964). "HARLEY, Edward, Lord Harley (1726-90)". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年7月6日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
ヴェルタース・コーンウォール英語版
トマス・フォーリー英語版
庶民院議員(ヘレフォードシャー選挙区英語版選出)
1747年 – 1755年
同職:ヴェルタース・コーンウォール英語版
次代
ヴェルタース・コーンウォール英語版
サー・ジョン・モーガン準男爵英語版
名誉職
先代
ホウェル・グウェン英語版
ラドノーシャー統監英語版
1766年 – 1790年
次代
トマス・ハーレー英語版
グレートブリテンの爵位
先代
エドワード・ハーレー
オックスフォード=モーティマー伯爵
1755年 – 1790年
次代
エドワード・ハーレー